知恵ノート79
「前田の呪い」を研究する@
2013年春現在、
サッカーファンがよく話されている話題と言えば
「前田の呪い」だ。
まず、前田の呪いとはどういうものかというと・・・
J1リーグのジュビロ磐田に所属する前田遼一選手が
シーズン初ゴールを決めた対戦相手のチームは、
J2リーグに降格するというもの。
2007年から2012まで6年連続で前田選手が
初ゴールを決めた相手は降格した。
その前田遼一選手は現役日本代表FWで、
万能型のストライカーであり、日本代表25試合で10得点。
二桁得点もJリーグで7年達成しており、
通産ゴール128得点は中山雅史、三浦和良に続いて
歴代3位という日本を代表するFWの一人だ。
2年前まで得点した相手は
下位に低迷するクラブが多いので苦笑ものだったけど、
昨年のJ1の強豪クラブ、ガンバ大阪の降格は
流石に広く語られるようになり、
今では前田のシーズン初得点は「前田の呪い」や
「デスゴール」などと呼ばれるようになった。
問題の結果はご覧のとおりだ。
2007年:第14節vsヴァンフォーレ甲府→17位降格
2008年:第19節vs東京ヴェルディ→17位降格
2009年:第05節vsジェフ千葉→18位降格
2010年:第04節vs京都サンガ→17位降格
2011年:第10節vsモンテディオ山形→18位降格
2012年:第03節vsガンバ大阪→17位降格
・・・と、ここまではよく語られているけど、
2007年以前はどうなのか?
また前田が得点したチームの
シーズン終了との因果関係はどのようなものか、
今回は「呪い(?)」が始まる前年の、
2006年までのデータを見ながら考えてみようと思う。
※結論だけを見たい方はこのページを
下の方へスクロールしてください。
なお天皇杯・ナビスコカップは割愛します。
(用語説明)
Jリーグは2004年まで前期と後期で
リーグ戦が行われていた。
1st=ファーストステージ=Jリーグ前期、
2nd=セカンドステージ=Jリーグ後期、
チャンピオンシップ=1stと2ndの王者が
ホーム&アウェイで試合をすること、
これに勝てばJリーグ王者になれた(2004年で廃止)。
■2000年 前田遼一とJ1リーグ(出場1試合0得点)
前田選手の初控え・初出場も
Jリーグ1st第10節アウェイ、
5月3日の川崎フロンターレ戦1試合のみだ。
アウェイながら磐田が4−1でリードしている後半38分初出場。
得点リードは安全圏で新人出場ではよくある展開だ。
前田の出場して2分後の後半40分に
川崎の寺田周平が退場したのは偶然だろう。
試合は磐田5−1勝利。
この試合で前田は得点していないが、
川崎フロンターレは年間順位16位の最下位で降格した。
この頃はまだ新人なので、出番は少なくて当然とも言える。
■2001年 前田遼一とJ1リーグ(出場9試合2得点)
前田遼一の初控えは1st4節アウェイ鹿島戦。
相手も退場を出し、磐田2−1勝利。
鹿島は1st11位と低迷したが、2ndは優勝。
チャンピオンシップではジュビロ磐田を破り優勝した。
この年の初出場と初ゴールは2ndステージ第1節ホーム清水戦、
後半28分に出場し、後半43分にゴールしている。磐田3−1勝利。
初ゴールされた清水は1st・2nd・年間順位、
全部4位となってジンクスとは無縁だ。
その後も2nd4節アウェイヴェルディ戦、
後半29分途中出場得点無し。
延長0分自身初イエローカードを貰う。磐田2−1勝利。
2nd5節ホーム浦和戦では、相手が一人少なくなった
後半29分途中出場得点無し。磐田2−1勝利。
2nd6節アウェイ名古屋戦、1−0でリードしている後半21分途中出場、
後半ロスタイムに前田のゴール。磐田2−0勝利。
ゴールされた名古屋は前期3位後期6位
年間順位5位となっていてジンクスとは無縁だ。
2nd7節アウェイセレッソ大阪戦、
1−0でリードしている後半33分途中出場。
得点無し。磐田1−0勝利。
2nd8節ホーム鹿島戦、初めての先発で得点無し。
磐田は2−0勝利。後半41分に途中交代される。
2nd9節アウェイFC東京戦、先発出場も得点無く、
ハーフタイムで交代。磐田は5−2勝利。
2nd11節ホーム柏戦、後半29分に途中出場するも
ダメ押しを決められ、磐田1−3敗戦。
2nd13節後半ホーム横浜FM戦、
21分途中出場するも得点無し。磐田1−0勝利。
この年のリーグ戦で途中交代が出場が多くなってきた。
将来有望な新人によくあることだ。
■2002年の前田遼一とJ1リーグ(出場4試合0得点)
2002年初控えは1st1節のホーム名古屋戦、
名古屋はこの年1st3位,2nd13位の6位だった。
この試合で前田の出場は無かった。
この年の初出場は1st6節ホームの鹿島戦、
ハーフタイムから出場してゴールは無かった。
鹿島はこの年1st5位、2nd3位、年間順位4位。
1st7節ホーム横浜FM戦後半34分に途中出場。
ゴールは無く、磐田1−3敗戦。
2nd11節アウェイ横浜FM戦、後半40分に途中出場。
2分後に相手のウィルがイエロー二枚で退場している。
得点は無し。磐田3−1勝利。
2002年もまさに磐田の黄金期だった。
1年間のリーグ戦で3敗しかしない強さで、
新加入グラウの加入か怪我なのか
前田の出番が4試合しか無く、ゴールもなかった。
■2003年 前田遼一のJ1リーグ(出場28試合7得点)
この年から前田はジュビロの控えFWとして定着し、
出場試合も増えてきた。
初出場・初ゴールは1st1節ホーム横浜FM戦で
前半11分に得点。しかし磐田2−4敗戦。
初ゴールされた横浜Fマリノスはこの年、
前期後期優勝し、リーグ優勝を成し遂げた。
以後データが膨大すぎるので、
前田遼一の初出場・初控え・初ゴール、
前田が全ゴールした相手だけを見ていきたい。
初控えは1st2節アウェイガンバ大阪戦、試合出場無し。
2得点目は1st11節鹿島戦、後半5分に一人少ない中
ゴールするものの磐田2−5敗戦。
3得点目は1st13節ホームジェフ戦、相手に得点された1分後
後半31分に相手に追いつくゴール。チームは2−2ドロー。
4得点目は2nd5節アウェイ名古屋戦、
後半3分にゴールするものの6分後同点を許す。2−2ドロー。
5得点目は2nd7節アウェイFC東京戦、
前半24分に得点し、2−1磐田勝利。
6得点目は2nd8節ホーム柏戦、
後半15分に得点するもロスタイムに失点し1−1ドロー。
7得点目は2nd9節神戸戦、
後半27分に得点し、3−1磐田勝利。
■2004年 前田遼一のJ1リーグ(27試合8得点)
初控えは2節名古屋戦。
後半25分からシーズン初出場。磐田3−1勝利。
名古屋はこの年、1st8位、2nd5位で年間順位7位だった。
初ゴールは1st8節ホーム大分戦。
同点とされた3分後の後半14分に得点し、磐田2−1勝利。
大分は1st10位、2nd16位の最下位で年間順位13位だった。
ちなみにこの年は、
翌年からJ1クラブを18クラブになるので
最下位の柏だけがJ2との入れ替え戦で勝ち越し、
J1から1クラブも降格が無い珍しいシーズンだった。
2得点目は1st9節アウェイガンバ大阪戦、
前半6分のゴール、磐田は2−0勝利。
3得点目は1st12節ホームジェフ戦、
前半31分のゴール、磐田は3−1勝利。
4得点目は1st13節ホーム神戸戦、
後半14分のゴール、磐田は2−2ドロー。
5得点目は1st15節ホーム広島戦、イエローを貰った一分後、
後半8分のゴール、磐田は4−2勝利。
6得点目は2nd3節アウェイ浦和戦、
前半ロスタイムのゴール、磐田は2−3敗戦。
7得点目は2nd5節ホーム磐田戦、
前半ロスタイムのゴール、この試合後半19分に前田は退場。
その後3点リードを守れず、4−4ドロー。
8得点目は2nd11節、アウェイヴェルディ戦、
前半33分のゴール、磐田は2−1勝利。
■2005年 前田遼一のJ1リーグ(25試合12得点)
この年から前期(1st)後期(2nd)の2ステージ制も終了し、
現在のJ1全18クラブ、34節のリーグ戦となった。
初出場は第1節アウェイ横浜FM戦、
ゴールはないものの、磐田1−0勝利。
この年の横浜FMは年間順位は9位だった。
初控えは第5節ホームジェフ戦、
磐田は退場があって、出場はなく磐田1−3敗戦。
この年のジェフは4位と優勝寸前だった。
初ゴールは第8節ホーム浦和戦、
前半19分のゴール、ホーム磐田は2−2ドロー。
ゴールされた浦和も2位で惜しくも優勝らならず。
2得点目は第9節アウェイ柏戦、
後半17分のゴール、磐田は4−0勝利。
3得点目は第10節ホームガンバ大阪戦、
相手に得点を許した3分後の前半33分にゴール。磐田2−1勝利。
4、5、6、得点目は第15節セレッソ大阪戦、
後半から出場した前田は後半6,10,25分と3得点し、磐田3−0勝利。
前田初の3得点を決められたセレッソはこの年優勝争いをしたが、
最終節でドローとなり、首位をガンバに取られて優勝を逃した。
7、8得点目は第17節ホームヴェルディ戦、
前半5、30分に得点。磐田6−0勝利。
2得点決められたヴェルディはこの年17位で降格した。
9得点目は20節アウェイガンバ大阪戦、前半24分に得点したものの
イエローも貰い、逆転され磐田1−3敗戦。
10得点目は第22節アウェイ大分戦、
前半34分に得点。磐田2−1勝利。
11得点目は30節アウェイジェフ戦、
後半16分のゴール。試合は2−2ドロー。
12得点目は第32節アウェイ川崎戦、
前半24分のゴール。磐田2−0勝利。
2005年から前田はFWとして定着することになったが、
チームはタイトルを一つも取れず、長く続いた強い磐田の
黄金時代は終えることとなった。
■2006年 前田遼一のJ1リーグ(27試合15得点)
初控え・初出場は第7節アウェイFC東京戦、
昨年12得点したわりに出番が遅い。磐田1−3敗戦。
FC東京はこの年13位と低迷した。
初ゴールは第10節ホーム甲府戦、
前半14分のゴール。磐田2−0勝利。
甲府はこの年は15位でなんとか降格しないで済んだ。
ただ初昇格のチームなので、残留は好結果と言っても良い。
2得点目は12節ホーム名古屋戦、
後半21分のゴール、磐田は2−2ドロー。
3得点目は14節ホームセレッソ戦、
後半11分のゴール、磐田は3−1勝利。
4、5得点目は15節ホーム横浜FM戦、
後半0、8分のゴール、磐田は3−1勝利。
2得点されたマリノスはこの年中位で終えた。
6得点目は第17節ホーム鹿島戦、
後半27分のゴール。磐田は3−3ドロー。
7、8得点目は第22節ホーム新潟戦、
前半36分後半16分ゴール、磐田は2−0勝利。
2得点された新潟は14位で、新潟では珍しくない順位だ。
9得点目は第23節アウェイ川崎戦、
後半42分にゴール、磐田は4−3勝利。
10得点目は第25節ホーム磐田戦、
後半44分に得点。磐田は1−0勝利。
11得点目は第26節ホームガンバ大阪戦、
後半44分に得点。磐田は3−2勝利。
12得点目は第27節ホーム大宮戦、
後半4分に得点。磐田は2−1勝利。
13、14得点目は第31節ホームFC東京戦、
前半7、16分に得点。磐田は4−1勝利。
15得点目は第33節ホーム清水戦
後半14分得点。磐田は1−0勝利。
■2006年までの前田のゴールについて。
長々と書いてきましたが、
2006年までは前田のゴールや存在は、
呪いもジンクスも何も無いように思う。
初得点されたり、2〜3得点されたクラブは
不幸になるというのは無いし、
前田が得点をすれば勝ちやすいというのも
磐田は強かったし、サッカーほど点が入らない
スポーツでは1点が重いので当たり前のことだ。
いろいろ考えてみても
「無理やり」「こじ付け」という感じがする。
そもそも前田遼一が入ったことにより、
ジュビロ磐田が常勝軍団ではなくなった・・・
という見方も、
後の世にされるかもしれないけど、
それは一番無理がある。
大金持ちのクラブで無い限り、
サッカークラブの世代交代の難しさは
国内のサッカーをずっと見てきた
サッカーファンは皆わかっているからだ。
このページはまだまだ隙間だらけなので、
文章を増やしていく予定です。
「前田の呪い」を研究するAへ続く。
関連リンクhttp://www.jubilo-iwata.co.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/前田遼一