島話

このページは島の話について書いていきます。
前半は実際歩いた島の話。
後半は映画やゲーム、漫画などの島話です。


ぼくの離島めぐり

ここではいろんな島に行ったことを書いていきます。
三重県に住んでいるので近隣ばかりですが、備忘録代わりです。
一応自分の中でここに書く離島ルールがあり、

@道路がつながった島は基本書かない(江ノ島・お台場など)
A直接行った場所を書く。(最低でも10分以上の滞在)
Bでかすぎる島はノーカウント(佐渡島・沖縄本島)
C感想は適当(島民の方は怒らないでください)
・・・となっている。



広島県廿日市市〜宮島〜(2018年12月31日)


安芸の宮島は日本三景の一つで、
自分が死ぬまでに行きたい島のうちの一つだった。

この島は何と言っても潮の満ち引きによって
大鳥居の足元まで見れたり、海の中の神社を眺めるしかない様になるなど、
感心するしかない世界遺産の厳島神社がある。

宮島にある厳島神社は平清盛の時代に作られた神社で、
浸水したり、台風の被害にモロにさらされるなど、
災害に何度も被害にあった事がある神社で、数年に一回はニュースになる。


船はJR宮島口駅から降りて数分歩くと港に着く。道中はお菓子の店が多く、
港も土産物屋がしっかりとあってザ・観光地という感じだ。

船も2種類と寄り道船とかあるけど、目の前に来た船に乗ることにする。
この日は朝の船なのでお客さんはあまりいないけど、
外国人観光客は普通にいる。


島に降りるとなぜか奈良のように鹿が普通に歩いている。
どことなく野性味があって怖さを感じる。

とりあえず厳島神社に向かう。せっかくだからテレビで見た牡蠣を焼いたものを
食べようと思っていたけど、まずは通りを全部通ってから帰りに食べようってなった。

それにしても年末だから休みの店はあるけど土産物・飲食店が多い。
屋根もあって伊勢神宮のおかげ横丁にも負けてない感じだ。
それにお参りできる寺や神社もやっぱり結構ある。

やがて大鳥居が見えて神社に到着した。
潮も干上がっていて結構人が集まっている。
道潮になるとここが通れないかと思うと流石世界文化遺産だ。

鳥居を見た後は神社に入らず、対岸の神社が気になって行くと
清盛神社というのがあって他にも小さな神社がある。
また少し歩くと宮島水族館や宮島歴史民俗資料館があった。

厳島神社だけでなく他に観光施設を作るのはしっかりしている。
それから厳島神社に入ると想像通りの施設だった。

最後に丘の上の神社を通って、帰りの道に戻ると
もう昼で観光客が多すぎで、もみじ饅頭も牡蠣の店も並ぶことになった。
宮島はロープウェーとか乗りたい気もあったけど
次の目的地に早く到着するために早々にこの島から出た。




神奈川県横須賀市〜猿島〜(2018年8月15日)

猿島は東京湾に浮かぶ最大の離島で、
第二次世界大戦中はここに砲台が何基も置かれた場所だ。

この日は夏旅の5日目でとにかく疲れていた。
もう足も体も疲労困憊で研ぎ澄まされた神経もなく、
疲れた顔と体でこの島に上陸した。


島は夏の観光シーズンで港近辺は海水浴客や
バーベキューを楽しむ客でごった返している。

もうその客のためにこの島は
バーベキュー用の肉や道具を全部用意して、
販売・貸し出しを行っているのはなんとも観光島って感じだ。

島の奥に行く道は整備されていて、
杖を左右に二つ借りてスキーヤーのように進んでいくことにした。


この島の内部は日本軍が居ただけに
レンガ作りの部屋やトンネルが見えるけど、
横須賀市などが整備しているのだろう。なんだか建物も道も綺麗すぎる。

砲台の跡は綺麗さっぱり何もなくなっていて、
大半が見ても「ふうん」程度の物しか残っていない。
こんな小さな島で何を守れるのかという気もする。

島に風は気持ち良くてすがすがしいけど、
もうとにかくお客さんが多い。
やっぱりこんな僻地でもそこは都会だなって気がする。

1時間もしないうちに港に戻ったものの疲労で倒れそうなので、
長い行列に並んで船に乗って帰った。


沖縄県渡嘉敷村〜渡嘉敷島〜(2017年1月2日)

那覇空港や那覇に着く飛行機の窓から見えやすい島、
それが渡嘉敷島だ。場所は那覇の西30km離れた場所にある。

冬季は高速船が2往復、フェリーが1往復しているので
9時台の高速船で渡嘉敷島に向かうことにした。
しかし高速船の乗り場が遠い・・・チケット売り場から
外を5分くらい歩いて船に乗る。乗客は100人以上はいるだろうか。

高速船は35分で島に到着する。
島の大きな岩の前で今年の航海の安全を祈って
お祈りをした。こんなことをする船は初めてだ。

港に着くと待合所が大きい。夏だとここは
人がたくさん来るんだろうな・・・という感じがかなりする。
とりあえず自転車で島を回ろうとレンタサイクルを探すけど
どこも1月3日まで休みと閉まっている。

土産物屋でもレンタサイクルをやってるそうなので、
話かけたら自転車は今日は休みと普通に言われる。
原付や自動車ならともかく、自転車くらいなら
あんたでも貸せるだろ・・・と思ったけど、あきらめる。

仕方ないので港付近を歩いているとほとんど人を見かけない。
平屋の沖縄らしい家が多くて、どこも日本国旗を掲げている。
この島の人は愛国精神が強いのか?いや古い習慣が残っただけかもしれない。

神社や建物を見てきたけど何もすることがなくなってきた。
船の片道3千円も出したのでこのまま帰るのもなんだから、
バスに乗り込んで阿波連という地区に向かった。

バスには中国人、アメリカ人と同じくらい韓国人も多い。
バスは山を登り始めたら結構角度があるし、遠い。1時間前に
港でレンタサイクルを貸してくれなくて売店には感謝したくらいだ。


そのうち西側にエメラルドグリーンの海岸が見えた。
驚きの色をしている。そのうち阿波連に入ってバスは止まった。

そしてバスを降りて堤防の向こうに向かったらエメラルドグリーンの
広い海岸が輝いていた。すごい。夢に出るような景色だ。

テレビや動画で映されたエメラルドグリーンの海を見るより、
断然輝いていてやはり生で観るのは大事だと実感したし、
沖縄に来た価値はあったなと思った。

海岸ではサンゴをひろっている人が何人も居たけど、これだけ多いと希少感なく、
人骨ひろいみたいでどうも真似できなかった。

その後阿波連地区をぐるぐる歩いてみたけど、
海の家の集合がそのまま村になったような感じがする。わかりやすい所だ。

でもジュースの缶を捨てようとしたら
大半の自販機の隣にゴミ箱が無くて少しイラッとした。
商売だけして捨てる場所がないのはおかしい、
観光客にゴミを持ち帰れだけというのはあんまりだ。
(この件については村にメールしたから修正はされるだろう)



沖縄県うるま市〜津堅島〜(2017年1月3日)

津堅島は沖縄西部に浮かぶ島だ。

キャロットアイランドという変な仮名が付けられるくらい
ニンジン栽培が盛んな島らしい。

島は港から1日5往復フェリーと高速船で本島をむすんでいる。
船から見ると島はとても平坦だ。向こうには4年前に行った久高島が見える。
久高島と距離的に遠くなさそうだけどバスはまったく違うルートを通る。
フェリーは30分で島に到着した。

早速自転車を借りに切符売り場で聞くと、
近くの商店で借りれるらしい。少し歩いて向かうと
おばあさんが500円でどれでも借りていっていい、 
終わったら勝手に戻しておいてと言ったので借りる。

自転車500円は少し高いと思ったものの、借りて大正解だった。
平たんな道がずっと続く島で島の面積の7割は畑という感じだ。
確かにニンジンばかり植えてあって、ニンジンが食べたくなった。

平たんな道を突き進むと、森に入った。
と言ってもこの島の外周に森があるだけで小さなものだが、
なんだか聖地のような場所があった。でも結構荒れている。
あまり行事に使わない場所なんだろうか。

その後も自転車で周るけど畑だらけだ。
島の端では何かため池か公園のようなものを工事していた。
途中で綺麗な海岸に降りたけど自転車が砂に埋まって動けないので、
また元の道に戻った。この日も晴れていて泳いでいる人が何人かいた。


街に戻ると変な赤い建物が見えるので向かってみたら、
ニンジンの形をした展望台だった。何ともマヌケだけど、
津波が来たらここに避難するんだろうな。

1時間くらいで島は見まわったけど、地図に出ている古そうな港が
見当たらず探して向かったら、何とも静かすぎる場所だった。
サンゴの浅瀬でほとんど船が通れない。でも沖縄らしさを感じた。


沖縄県座間味村〜座間味島〜(2017年1月4日)

座間味島は那覇から西に40kmにある慶良間諸島の離島である。
渡嘉敷島の近くにこの島は存在するが、
渡嘉敷行きの船と別の船で航路がある。

この日も那覇の泊港から島に向かうと、
座間味島の港にはクジラのひれのオブジェがあった。

島に来るまでわからなかったけど、
座間味島はホエールウォッチングを推しているらしい。
土産物屋のカウンターでは外国人の受付と
欧米から来たような外国人が十数人、なにやら話し込んでいた。

泊港で見たライフジャケットを着ていたたくさんの人達は
クジラ目的だったのかと後で納得。でもウォッチングに向かっても
見れない可能性があるというので自分は興味がわかない。


10時に島に到着したらさっそく自転車を借りに行く。
この島の滞在時間は2時間もないのだ。

フェリーの広告に載っていたレンタサイクル1時間500円は高いので、
港を歩いていたら島内で一番安いレンタサイクル店で借りた。

自転車に乗ってまずは阿真ビーチに向かった。
途中マリリンの像と言うのが見えた。
なんでも昔映画になった犬の像で
阿嘉島から座間味島まで泳いで渡ったんだとか。

阿真ビーチは10分くらいで到着した。
曇りながらも海がキラキラと緑色に輝いていてキレイだ。
アメリカ人が何人か泳いでいる。ビーチ周辺を自転車で走ってみたけど
なんだか夏以外は廃墟感が強そうな場所だ。
途中小さな聖域ぽい物があったけどよくわからない。

次は少し離れた展望台に行かずに港に戻る。
展望台は渡嘉敷島で十分味わったし、
船に乗り遅れるのが怖かった。でも港では1時間も待ち時間があって、
ずっと港周辺の家々を自転車で周っていた。

やはりここも海の家がそのまま住宅街になったような印象を受ける。
そして本格的なシーズンだと超の付くくらい活気があるんだろうなと思う。


11時45分、村内航路を使って座間味島から阿嘉島へ出発する。
船は漁船みたいな大きさで乗ってるのは数人だけだ。
座間味島はもっと頑張って周っても良かったが、
阿嘉島の方が移動が多いから体力を温存することを考えていた。


沖縄県座間味村〜阿嘉島・慶留間島・外地島〜(2017年1月4日)

阿嘉島は座間味島の南に位置する島で、
この島と慶留間島と外地島は橋でつながっている。

阿嘉島の港付近はなんだか整備されていて
慶留間島に続く大橋が見える。ここまで大橋にする必要があるのだろうか。
大橋はエメラルドグリーンの海が反射して緑色で綺麗だ。

港に着いたらさっそくレンタサイクルが無いかそのへんを歩くと
結構貸してくれるところが多かった。なんだか暇そうなおじさんが
二人いる場所が少し安かったのでそこで借りることにした。


自転車を借りるとすぐに慶留間島に向かう。
大橋は走ってみると海は緑色で綺麗だけど高すぎて少し怖い。

海岸沿いに走ると馬鹿でかい地層が見える。
結構な迫力だ。車はごくたまにすれ違う。
自転車で坂道を越えると小さな街並みが見えた。
でも人がほとんど歩いていない。それもそのはず家は十数件建っているだけだ。

赤く目立つ学校があるので覗いたけど誰も居ない。
この島唯一の観光スポットで、昔偉い人が住んでいた高良家に向かったけど、
流石に正月休みだった。次は島を離れて外地島に向かう。


外地島に向かう途中、橋の上からさっき見た学校が見えた。
校庭のすぐ外にサンゴの海が広がっていて、まるで夢の中の学校みたいだ。
すごくドラマや何かの舞台に使えそうという雰囲気があった。

外地島はただ慶良間空港があるだけの無人島で、
その空港も事実上閉鎖状態だ。長い坂道を登って向かうと鹿が一匹
もののけ姫のようにこちらをじっと見ていた。
後で調べたところによると、ここの鹿はケラマジカと呼ばれていて
結構大事にされている鹿らしい。坂を上ると鹿は居なくなっていた。

空港はやはり何もないが車と原付が止まっている。
中に入って自販機で飲み物を買ってもいいけど不審者扱いはご免なので
アメリカ軍が上陸した石碑を見た後、さっさと阿嘉島に引き返す。


阿嘉島は慶良間諸島の他島と同じく、
民宿やダイビングスポットとして生計を立てているような島だ。
ここは住宅街の真ん前に海岸があってとても行きやすそうだ。

Tシャツでも過ごせる気候なので何人か泳いでいる。
たまには島で食事しようと海の家ぽい食事処に行くと、
他の人が食べていたソーキソバが美味そうなので食べたらまあまあ美味い。
でもトイレは小も大も閉鎖していて掃除もされず酷かった。飲食店としては失格だ。

そのあと海をながめた後14時半のフェリーに乗って本島に帰る。
せわしい日程ながらこの島は計画通りに行けて良かった。
予定通り日程をこなせた安堵と共に、でもむなしさも少しあった。
たまには島に泊まることも考えてみたい。



愛知県蒲郡市〜三河大島〜(2016年8月14日)

愛知の離島は全部行ったと思っていたら、
いろいろ検索してみると蒲郡市に海水浴のために
7〜8月にだけ行ける島があるので、とりあえず行ってみることにした。

もう海水浴のために開く島なんて、
泳ぎに行くわけでも無いのなら行っても仕方ないと思うんだけど、
蒲郡市がどんな所か気になったついでに行った。


船は駅から十数分歩いた港から船が出ている。
どうやら観光船は造船所が経営しているみたいだ。

チケットのモギリが隣の造船所で働く男達みたいで、
あまり客商売をやり慣れていない感じがする。
ただの夏バテなのかもしれないが。


船は3階建ての大きな船だ。
片道600円17分で三河大島に到着した。

島は予想通り海水浴場しか見えない。
海岸沿いを回ってみたけど自分の場違い感は
なかなかのものだ。早く帰りたい。

西側にも海岸があって向かったけど、そこも同じような感じだ。
夏っぽい音楽と、はしゃぐ人達という感じ。



でも山の中に神社があるので向かってみると、
社が3つもあった。以前ここに何かあったのかもしれない。

神社の旗は大量に飾られ、この島で商売する人たち全員に
寄付が義務付けられているのかも。



福岡県新宮町〜相(あいの)島〜(2016年7月16日)

相島は福岡市北部の新宮町にある小さな島だ。
江戸時代、鎖国政策中に朝鮮からの朝鮮通信使が来て、
この島だけでわざわざ会合したと町のHPに載っている。

この日は早朝から福岡に向かい、急いで相島に向かってかなり疲れた。
離島は片道460円17分で到着する。

船は夏の連休なのでわりと人がいた。当たり前だが釣り客が多い。
島に到着して朝鮮通信使の看板と説明文が港に書いてあった。

隣で日本語以外の言葉が聞こえると思ったら、
韓国人の男達が文字を見て写真を撮っている。
福岡だから韓国人は珍しくないけど離島まで来るのは少し驚きだ。


到着はしたものの帰りも急いでいて1時間13分で
次の船に乗って帰らないといけないので、急いで回ろうとするが
暑さと疲れと眠さに道を歩いていて目が回る。

今日はあまり動けないと自覚して、予定通り
家がある場所だけを歩いて写真を撮ることにする。
島を一周する時間なんかないとすぐ判断できた

それにしても島には猫が多い。観光用に多いのかな?
でもそのわりに猫に餌を与えないでのポスターをたくさん見る。
なんかそれはそれで可哀想に思うが・・・

住宅街にある立て札を読んだり、小学校の方へ歩いてみたが、
早くも船が港に戻ってきた。


結局今回は離島に来ても高揚も期待も何もなかったし、
島に来て何もできなかった気さえする。
久しぶりに離島に来たけど自分が
離島に行く目的が何なのか思い出せなくなっている。



福岡県福岡市〜玄界島〜(2016年7月17日)

玄界島は前回福岡に来た時に荒波で行けなかった島である。
ベイサイドプレイス福岡埠頭から
片道860円、港から35分で到着する小さめの島で、
この島は言うなれば震災被災島である。


2005年福岡県西方沖地震で、この島の半分以上の家が
全壊して1か月以上、全島民が避難をするという、甚大な被害を受けた。
それでも島に住んだ多くの人たちがもう一度島に戻って、
復興を果たした知られざる島でもある。


玄界島は船から島を見るにつけ、三角すいのような
急な場所に作られた町という感じがある。

そして島の真ん中に見える家が
住宅展示場のようにやたら新しい。
そのはるか上には小学校が見える。

「すごい所に建てたな・・・」としみじみと思う。
だからこそ被害が大きかったのでは?とも思う。


港に着くとこの日も暑かった。倒れそうだ。
島の町並みは離島なのに狭い路地などなく、
とても整備されている。言うまでもなく震災の影響だろう。

道を進むとマンションやアパートが多い。
でも海岸に近くて津波が来たら危なそうだ。
そしてゆるやかな坂を登ったら住宅街が見えた。
やはり新興団地という感じが強く、勝ち組的な何かを感じる。
家の庭に鳥居を置いている家もあったけど、
この地方の風習なのだろうか。

ゆるやかな坂をズンズン上がって行ったら学校が見えた。
港からは天空の学校にすら見えたけど、意外と遠くない。

学校は週末なので休みだったけど大きなヤギが座っていた。
学校で飼っているのだろうか?ここに行くまでに何人かすれ違ったけど、
どうやらこの付近の人達が休みの日に、水や餌をあげているみたいだ。

校舎裏からどこかに続く道はあったが雑草で通れず港に戻る。
次の船まで1時間以上あるので東側の海岸沿いで海を見ていた。


どうも離島に行くと島内全部回らないといけない気分でいるのは疲れる。
離島に来るのは気休め・軽い遊び程度だったのに、
いつから疲れるための歩け歩け大会になってしまったんだと思う。

「離島では海をながめてばかりいたい」未来の自分に言いたい。



兵庫県姫路市〜坊勢(ぼうぜ)島〜(2015年8月15日)


兵庫県沖に家島諸島という群島があるので、
8月15日に姫路港から坊勢汽船に乗って向かってみた。

この諸島は全部行けなかったので、
次回のために駅から向かった話を書こうと思う。

家島諸島に行くには姫路駅で降りて、
駅北口のバス乗り場から向かわなければいけない。
バスは15分くらいで港に着く。


港では四国や小豆島に行く人達でにぎわっていた。
2〜3島行きたかったけど、どうも便が少ないみたいだ。

結局、いろいろ悩んで
夕方サッカー観戦のために大阪に向かわないといけないので、
建物が多そうな坊勢島だけ行くことにした。

船代はわりと高いが少し沖にあるから仕方なさがある。
船には盆の帰省でたくさんの人が乗っていて船はすごく飛ばしている。


途中で男鹿島が見えた。この島はかなり採掘されて
岩肌がよく見える大きい島だけど行く価値はあるだろうか。
この島の次に降りるのが坊勢島だ。


坊勢島はとても大きな家が多い。漁業で成功したのか、
男鹿島の土地を高く売った人が多いのだろうか?
長崎ばりに高台にも家が多くて3千人以上も住んでるらしい。
やはり姫路市という大きな市が近くにあるから・・・
というのもあるのかもしれない。


まず自転車で島を周ることにした。
レンタサイクルは500円と少し高いけど
島を回るには乗るしかない島の大きさだ。

この日も天気は晴れですがすがしい。
島の廃墟率もかなり低く、すれ違う人もいる。
街を何十分か走るとアスファルトでできた山道が見えた。
延々と坂道を登ると夏なのでとんでもなく疲れた。
持ってきたジュースもどんどん減っていく。
やっと登った山の上は普通に瀬戸内海の気持ちいい景色が見えた。

そのあと下り坂を一気に降りていくと
また港 に戻った。港では次の船の時間を見に行ったら、
他の船会社の時刻表も載っていた。
どうやらこれに乗れば家島の方にも行けるみたいだ。
完全に調査不足だったけど、これぞ渡りに船だ。

坊勢島は2時間しか滞在できなかったけど、
とりあえず家島に向かった。


兵庫県姫路市〜家島〜(2015年8月15日)

兵庫県姫路市家島は家島諸島の中心で、
この島では観光客向けの電動自転車の貸し出しや
コミュニティバスもある。

島の大きさは坊勢島の数倍で当然家島諸島の
中心である・・・と、帰宅して調べてわかったことだ。

実は家島は当初行く予定には無かった島で、
今もよくわかってない。


坊勢島から家島に行く船で港に着いたら、
周りが鉄工所しかない場所で地図も何もなく困った。
どこに向かって歩けばいいかわからない。

とりあえず歩けば何とかなるだろうと思いながら
矢印のある学校の方へ向かった。
しかし暑いうえに長い坂道をまた登ることに。

暑さで体が危ないのでジュースを途中で
補給しながら歩いていく。学校は高校まであるみたいだ。


その後もカメラを提げた観光客ぽい雰囲気で歩き進めるけど、
どこに向かっているのかわからないのは少しきつい。
それに相当疲れてきた。とてもじゃないけど観光する気力が無い。

それから延々とトボトボと細い道を進んでいくと
徐々に道が広くなり、港に出た。
そこからビルのような建物が見えたり、
船を修理するドッグも見えたり、

観光地として面白くなってきたけど船着き場に着いたら、
体が疲れすぎて待合室で1時間休んで姫路に戻った。

年々体力が落ちているのは身に染みていたけど、
運動不足だけでない非情な老化を感じた。



広島県福山市〜走島〜(2015年8月14日)

走島は広島の東端に位置する瀬戸内海の島だ。
「走島」と書いて「はしりじま」と呼ぶ。

盆休みで来た鞆の浦の港から船が出ていて、
便も増えているので向かってみた。乗客はなかなか多い。

到着した港に停泊している船の旗は店の旗が多い。
ココストアやタイヤメーカーの旗、
いろんな旗が使われているけど、
勝手に使って大丈夫か?って感じがある。


この島は中央と東に住宅が固まっている。
まずは中央の道をずんずん進んでいくことにした。

途中小学校中学校が見えた。
なかなか立派だけど今年閉校したそうだ。
学校では暑い中、夜店の準備をしていた。

反対岸に着いたけど、使われているのか
どうかよくわからない水産品の製造工場が何軒も建っている。
たぶん半分くらいは使われていると思う。
盆休みだからかとんでもなく静かだ。


また港に戻ったけど道中にある地蔵さんや神社は
綺麗に整備されていた。信仰深い土地なのだろうか。

まだまだ時間があるので島の東側に向かうことにした。
東側の集落は道が一本片道3kmほど歩いて向かわないといけない。

この日も1年前同様暑かった。
でも100円ショップで買った帽子と冷却スプレーで
ダメージはかなり弱めることができた。まったく体調が悪くならない。

途中民宿や食事処も見えたけど、
高台の瀬戸内海を望む場所でこういう所はいいなと思う。

東側の集落は到着したら海水浴場の近くだから
海水浴客が多くて、結構にぎわっていた。
やっぱり離島は夏に行くものだなと思わせる雰囲気だった。

そこからまた歩いて港に戻 る。
帰りはフェリーに乗れない車が数台あった。
この季節はこの島で一番にぎやかな時なんだろうな。


広島県福山市〜仙酔(せんすい)島〜(2015年8月14日)


仙酔島は鞆の浦から渡船で5分の島である。
この時期は1日40往復しているらしく、海水浴シーズンで
たくさんの人と船に乗って島に向かった。

この島はわかりやすい海水浴場と
キャンプ場、そしてホテルと散歩できる道がある島で、
鞆の浦という和風すぎる観光地と、
違う一面を見せる場所である。


島は小さいけど観光地らしく整備が行き届いている。
沿岸沿いの道も山道も整備され、
廃墟やゴミだらけの沿岸はあまり見ない。
地層が大きく見えたり、すがすがしい景色が見れたり、
普通といえば普通のレジャー島。


そこかしこでバーベキューの匂いがして、
バーベキューをするために一輪車並みの車に
大量の食材を買って島に向かう姿も見たし、
「バーベキューは日本に根付いたなあ・・・」と感心してしまった。


ホテルの看板に「感謝」とか「ありがとう」とか、
路上で詩を売ってる人たちのような詩が
大量に書かれていたけど、アレはどうも苦手だ。
普通じゃアカンのかっていう・・・

10年後くらいに再びこの島に来たら、
恋人でここに来たら結ばれる神社とか
作られそうな、そんな軽さも感じる島ではある。


静岡県沼津市〜淡島〜(2015年7月19日)


淡島は伊豆諸島の北西に位置する小さな島だ。
この島は鳥羽のイルカ島によく似た観光島で、
イルカやアシカのショーや釣りを楽しむことができる。

島でのショーは他と同じようなものだけど、
カエル館やミニ水族館も常設されている。


行った日は夏の連休なので、結構多くの人が訪れていた。
でも小さな島だから2時間もすれば半分以上出ていく。

この島の残念なところは行ける範囲が狭いところだ。
「波があるからこの先行けない」「道が悪いから山道は登れない」
それが海水浴場や展望台のあるイルカ島に比べるとつまらない。

またこの日は天気は良くても山に雲が多く、
富士山が見えないのが残念だった。
見えたら目に焼き付くような絶景だったろうけど・・・


島は無人島だけど、淡島ホテルという
大きなホテルが建っているので、
常に誰かが泊まっている無人島ではある。

ここは昔ロープウェーが陸地を結ぶという、
面白い交通手段だったけど、施設の老朽化で
コストの安そうな船での移送に切り替えたようだ。

島に行くのにわざわざロープウェーとは・・・
乗ってみたかった。


福岡県北九州市〜藍島〜(2014月12月29日)


藍島は福岡県北東の北九州市の島である。
年末旅行で九州に来たので小倉駅から10分歩いた所という、
なかなか行きやすい場所に市営渡船所があるので向かう事にした。

この市営船は途中で馬島という島にも止まるが、
10世帯くらいしか居ないとても小さすぎる島なので、
便も少ないので寄れなかった。この日は時間もないし、
何をすればいいか困る島はまだ行く段階ではない。
船に乗る大半は釣り客である。北風がなかなか寒い。

島に来て、この島はちょっとやばそうだと思う。
どの軽自動車にもナンバーが付いていない。
どう見ても違法だけど離島はある意味治外法権だから
許されているのだろうか、他の島でも車検切れの車が
走っているのはザラだったがナンバー無しとは・・・

でもそれ以外は普通の島であった。
変わった事と言えば太った猫がたくさんいて、
決まった餌やり場でキャットフードを食べさせている子供が居たり、
小さい島だけどトンネルがあったり、
コカコーラの自販機が他の島より多いくらいか。

あとは北に行くと千畳敷という海岸がある。
ここは干潮時には歩いて小さな姫島や貝島に
渡れるという、物語に出てくるような場所である。
その島に別荘が建っていたのは面白い。でも冬には厳しい場所かな。

港に戻り沖を見ると大きな橋がかかった島が遠くに見える。
後で調べようとこの時思って、今調べたけど白島国家石油備蓄基地という
石油を貯蔵する立ち入り禁止の島だそうだ。そういう島もあるのか。
人が居ない島の使い方はこういうのが理想なのかもしれない。


長崎県長崎市〜高島〜(2014月12月30日)


長崎県高島は軍艦島の近くの島だ。
この島は港に着く時に、マンションがいくつも建っていて少し驚いた。

なんで建っているんだろう?それは島の資料館を見てわかった。
理由は高島も炭鉱島だった軍艦島と同じ炭鉱の歴史があった島で、
1986年まで採掘をしていたからだ。昔は何千人も住んでいて
いくつもマンションが建っていたそうだ。

とりあえず島を回るために港でレンタサイクルを借りて走る。
電動自転車は初めて乗るけどなかなかパワーがあって坂が走りやすい。
軍艦島が見える丘に登ったけど良い景色だ。日本の西の端に来た感じがすごい。

島を巡るとソーラーパネルがすごい置かれている。
土地の良い有効活用だけど実際儲かるのだろうか?

マンションの横を通るとマンションは
実は閉鎖してある部屋が多いことに気がつく。
というかそもそもかなり古いのかもしれない。

道なりに進むと海水浴場が見えて、整備された釣り公園が見えた。
自転車で通りたかったけど、ここに入るのに有料で500円がいる。
かなり高すぎると思うけど結構人がいる。

その後港を回ってグラバー邸跡に行く。
誰かよくわからない人だったけど、
翌日長崎市の観光地グラバー園でいろいろ知った。

その後帰るにはまだ少し物足りなかったので、
島のてっぺんの展望台まで行った。夕日も見えて絶景である。

この島は温水プール場がなぜかあったように、
大量にあるお金が島中に使われている感じがすごいする。
軍艦島と似た歴史をしながらどこでこうなったのか。
やっぱり島の大きさが軍艦島より大きいのが違ったのだろうか。


長崎県長崎市〜軍艦島(端島)〜(2014月12月31日)


軍艦島は明治から昭和にかけて炭鉱があった小島で、
最盛期には島に5千人以上が住んでいて、
日本最初の鉄筋コンクリートの建造物が立てられた島である。
現在は完全に無人で廃墟しかない。

この軍艦島は日本で一番変な島はどこか?
と言われたら、必ず1位〜3位に入るくらい有名な島で、
テレビにも忘れかけた時に見かける。

島はここ数年で観光地として整備され、上陸できるようになった。
廃墟島とはいえここ数年で50万人以上上陸している。

今年九州旅行の目玉として、
人に語ることもできる軍艦島に行く事にした。

乗って行くのは軍艦島コンシェルジュという会社で、
以前島の住人だったおじいさんがナビゲーターとなって
船のモニターで色々と説明してくれた。面白い。

しかし、この日の風の強さはかなり強くて上陸できるか不安だった。
船は風に弱いから4200円(+振込み料)も払って
上陸できなかったら絶望だなあと思ったけど、
今思い出しても経験した事が無いなかなかの波だった。

島付近に着いたものの船はガンガン桟橋にぶつかるし、
何度も船を島につけようとリトライとエラーの繰り返し・・・
船員は大声で叫んでいるし、誰か大怪我を負いそうな気配がずっとあって、
「ここまで来たのに無理かなあ」と思ったけど、
船はなんとか桟橋に着けて上陸できた。

軍艦島の印象は・・・建物が高いという事。人口の山もちょっと高い。
そして半世紀もしないのにここまで朽ちるかという感じもあった。

ただそれ以外は予習した以上の物もなく、
見学も当然いける場所が限られていて移動も少なく、
上陸から50分もしないうちに船に戻って港に帰る事になった。

帰りの船もすごい揺れて吐いている人、気分の悪い人多数だった。
自分はなぜか全然平気だったけど、
「これで終わりか」という残念感があっただけだった。
やはり島は自由に周れて探索できないとつまらない。

ところで軍艦島は世界遺産登録を目指しているそうだ。
悪い事では無いけど廃墟を直しすぎるのだけはやめて欲しい。


福岡県福岡市〜能古島〜(2015月1月1日)

福岡県能古島は博多湾の真ん中にある結構大きな島で、
船が1日23便もあるなかなかアクセスが楽な島だ。

だけど福岡港ではなくて西の姪浜という場所から
船は出ていて、福岡中心から一旦電車かバスで
移動する必要がある。ちなみに島の名前は「のこのしま」と呼ぶ。

1月1日小雪が舞うこの日も船は動いていた。
自分は12月29日から3日連続離島に行っていて、
朝の雪にも参っていたので、
今日は軽く歩いて終わらせようと島に向かった。

島は小雪が積もっていて港の店はほとんど閉まっている。
いや、全部夏専用の店のようだ。とにかくとても静かだ。

何気に島の道を歩いていくとバスが走っている。
人がほとんど歩いてないけど需要があるのだろうか。

道なりに進むと能古博物館が見えたが当然休館をしている。
それも春まで。それから港の住宅街を歩いていくが
普通のそのへんの郊外の町という感想しかない。
散策地図に書かれていた名所には行く気はしなかった。
あまりにも島が大きすぎる。

この島は寒さと気分で2時間で去ったが、
海岸からは福岡の海岸沿いがずっと見渡せて良い景色だ。
ただ津波が来たら防波堤も少ないし、ちょっと不安だが。

のちに調べたところ、島には春に花が大量に咲き乱れ、
夏は観光気分でたくさん福岡から人が訪れるような所だそうだ。
冬は完全に冬眠しているという感じか。


山口県下関市〜巌流島(船島)〜(2015月1月3日)


巌流島は九州と中国地方の間、関門海峡の間のとても小さな島だ。
その昔、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をしたらしい島として有名だ。

この島は門司港駅から歩いて3分の場所に遊覧船が40分おきに出ていて、
内海で波の心配も無さそうだし、とても行きやすい。
船には15人ほど乗り込み出発した。

この海峡は通る船が当然のように多くて、
大型船がすごい速さで並走している。事故とか大丈夫なんだろうか?
船は13分くらいで島に到着した。思ったより時間がかかった気がする。

島は昔本当に決闘するしかできないような小ささだったけど、
埋め立てられて6倍に広がった。観光地としては2003年に大河ドラマに
宮本武蔵が題材にされたことで銅像なども建つようになった。
でも今も島の半分以上は三菱重工が保持をしている。

人口海浜に武蔵が乗った船のレプリカが置かれているけど、
ボロッボロだ。流されるか変えられる日も近そう。

ここは静かな島で良い意味で何もない。
大橋や大船など景色を見てゆっくりしたかったけど、
島の滞在時間の30分がはっきりいって短かかった。
1便伸ばして70分滞在でも良かったけど・・・
この日は時間に焦っていて無理だった。


香川県気高松市〜女木島〜(2014月8月14日)


香川県の女木(めぎ)島は県庁所在地である
高松市の前に浮かぶ縦長の島だ。

今年の夏は島巡りのために10年ぶりに高松に来た。
香川県は島が多いのにこの島を選んだのは、
大きな街の高松に近くて女木島は別名
「鬼ヶ島」と呼ばれていることに興味があったからだ。

朝早くから船に乗って島へ向かう。
船にも「女木島(鬼ヶ島)」と書かれている。


港に到着したらまず自転車だ。
待合室(鬼の館)で大量にある自転車から、
電動自転車を勧められたけど普通の自転車を借りる。
さあ今回も島を一周するぞと北に向かった。

ところが・・・自転車をこいでいるだけで疲れる。
それこそ10分経っただけで・・・
何が原因かと考えたら17日前の京都小旅行の疲れが思い浮かぶ。

旅行の間隔が短すぎた。それは理解していたけど旅の始まりで
それは無いだろうと疲労の中頑張って進む。

北にある県営野営場はただのキャンプ地だった。
自分が見た夢に出てきた場所に似ているけど、誰にもわからない話である。
それから島の西の方に向かったけど、ずっと続く坂道に滝のように汗が出る。
朝から暑過ぎる。小麦に焼けるオイルを体に塗っているけど反射はしないみたい。

ひどく汗をかきながら進んだら下の方に西の港が見えたので
ずっと下り坂なので、す〜っと降りてみた。
暑過ぎるから自販機で何か飲もうと思っていたけど自販機が無い・・・

そこから元の道に戻り島のテッペンにある鬼の洞窟を目指す。ずっと坂だ。
「やばい、倒れそうだ」と何回も思う。やはり飲み物は人間の体には大事だ。
なぜ港で買っておかなかったのかと相当後悔をする。

そしてヘロヘロになりながら鬼の洞窟に着く。ここにはバスやら
車やらバイクやら結構人が来ている。盆の時期だから多いのだろう。

変な鬼の人形や立て札があって、いろんな人が写真を撮っている。
洞窟の近くには時代から取り残されような商店が見える。
もはやこれが味でわざとやっているとしか思えない店だ。

そしてやっと見つけた自販機でジュースを二本買う。
ジュースがこんなに美味いとは思わなかった。
山の上からの景色も良くて来て良かったと思った。標高は216mらしい。

ジュースを飲んだ後、鬼の洞窟に入る。入場料は500円だ。
中は「涼しい。」まるで冷蔵庫みたいだけどセメントの補修がかなり多い気がする。
体を冷やすのにゆっくり周ったけど、いろんな面で「う〜む」と思った。
鬼ヶ島という伝説は観光のために広めたのだろうか?
しかしただの長い洞窟に500円という入場価格は強気だ。

帰りは長い下り坂を自転車で下る。あまりの気持ちよさに、
今年初めて夏らしいことしたと感じるくらいだった。


香川県気高松市〜男木島〜(2014月8月14日)


男木島は女木島の北にある小さな島である。
女木島と男木島を結ぶのは雌雄島海運で、
船の名前はめおん号と言うから少し洒落ている。

女木島ではかなり疲れたので、
次の島では無理しないよう気をつけることにした。


港に着いたら女性歌手がポップな歌を歌っている。
ちょっとしたサプライズでなかなか面白い。見物客も十数人できた。

その後、島の待合室に入ると待合室が新しく綺麗で驚く。
なんでも以前この待合室で結婚式が行われたらしい。
でも島内の店はほとんど閉まっていて
自転車は全部貸し出されていていたのは残念だった。

島をトボトボと歩いてみたけど倒れそうだ。
ここは漁村らしく狭い所に家がたくさん集まる昔ながらの島だ。
坂道も多く神社は例によって島の高い場所にある。
島も小さいと思ったけど歩くと広い。

腹は減っていたけど数少ない飲食店のメニューが微妙で
店には入れなかったんだけど、その後入れば良かったと何度も後悔する。
そして相変わらずのこの日差し・・・やばさを感じる。

南の中学校の方に歩くと大きな工事をしていた。
津波対策だろうか?そういえば港の近くで仮校舎があったな。
南の海岸沿いは痩せた猫がたくさん居て写真を撮っている人が多かった。
その後、東の海岸沿いに向かってみる。

すると変なアートが見えた。富士山が4人歩くようなアートだ。
この場所だけでなく、女木島でもいろんなアートが見れたんだけど、
なんでも瀬戸内国際芸術祭というものが去年行われていたのだそうだ。

他のはなんとも思わなかったけど、富士山のはなかなか見事だ。
遠くの大きな小豆島の風景にも合ってる。
芸術作品と島は相性がいいのかもしれない。

この後港に戻って高松に戻る。帰りに寄った女木島はすごい観光客と海水浴客で、
時間通りに船が動かなかった。やっぱり大都市の近くの島は客が多いなあと思う。


そのあと島を出てからかなり経ってから気がついた。
この日相当疲れた原因は何か?自分に必要だったのは帽子だったと。
黒い髪に容赦なく日差しがかかっていて脳天がやられたのかもしれない・・・。

ただそれを差し引いても信じられないほど疲れて、疲れが長引いた。

どれくらい長引いたかというと、今この文章を書いているのが9月13日である。
普通ならもっと早く書くのだが・・・思い出すのもだるさがあった。
教訓:夏には帽子が必要。島でゆっくりご飯を食べてもいい。


香川県気丸亀市〜(さぬき)広島〜(2014月8月15日)


さぬき広島は香川県の北西に浮かぶ瀬戸大橋の近くの島だ。
本当の名称は「広島」なんだけど、広島といえば
あの広島が有名過ぎるので自分の中で、さぬき広島と呼んでいた。

15日は早朝から丸亀市に向かい、港の待合所に行ったら
盆とはいえ酔っ払いの中年が数人居て朝から不愉快だ。
案の定警察が来て追い払ってくれたが・・・

窓口で島を渡る券を買うときに、「広島と小島と手島に行きたい」と言ったら、
「小島って何?」と突っ込まれ、「間違えた小手島(こてじま)」と言い直したけど、
そこは行きませんよと言われる。その後職員らしい人が来て行ける事がわかったけど、
窓口のおばさんに少し頭にきた。「間違えたけど大体わかるやろ・・・」と。

やっぱり盆休みである。待合所にはかなり人が増えて船は出発した。
久々に見た瀬戸内海はとても穏やかだ。全然波がない。
湖の上を走るようだけど潮の臭いがする。とても奇妙な感じだ。
崖の上のポニョという瀬戸内海沿いをモチーフにした映画があるけど、
あの波によく似ている(当たり前)。


40分くらいでさぬき広島に到着した。1時間半後の船にまた乗るので、
自転車を借りずに港付近を少し歩くことにした。

この日は曇りでとても過ごしやすい気候だったけど、
10時間以上眠ったのに昨日の疲れが全然抜けていない。
足が痛くてあまり歩けないな・・・とすぐに思った。

この島で船からかなり人が降りたけど、島が大きすぎるのかもしれない。
港から少し歩くと周りに誰も居なくなった。静か過ぎる。
とりあえず港の近く(江の浦)だけ見てみることにした。

まず思うのが周りの山が大きくてとても立派だ。
登ってみるのも面白そうに思う。王頭山と言うらしい。

そして家々は結構まばらに立っている。
家・空き地・家・空き地・空き地・家という感じで、
なぜか空き地がかなりある。畑か何かの名残かもしれない。
廃墟も当然多い。海岸の砂浜で遊ぶ人はあまり居ない。

結局周ったのは1時間くらいで雨も降ってきたので30分間待合所で
次の船を待つ。体力も時間もあれば島内一周したかった・・・

ほとんど人が居ない船に乗り、次の小手島に向かう。
次の島に行く途中に見たさぬき広島は
鳥羽の菅島のように島の石をかなり切り崩して売っているようだ。
人が住む土地なら自然破壊で大問題と言われそうだけど、
島が維持できるのならアリと普通に思う自分がいる。


香川県気丸亀市〜小手島〜(2014月8月15日)

小手島は船員が「おんてじま」と呼んでいた。
ずっと「こてじま」と呼んでいたから、
港の受付に言葉が伝わらなかったわけだ。

だったら船でも乗り場でもHPでも振り仮名くらい
書いておけよと思うけど、それくらい付近の人以外は
誰も来ない島と身に染みてわかる場所だった。
さぬき広島から向かう船に5人も客は居ない。

小手島は周囲3.8kmで人は50人住んでいる島だ。

到着すると郵便局の服を着たおじさんが
そこは船を下りる場所じゃないと教えてくれる。
なんだこの人馴れしたおじさんは・・・

港に着くとさぬき広島以上に静かだ。
港には船の倉庫や建物がたくさんあるけど漁をしていない。盆休みだろうか。
とりあえず道なりに進んでみる。人はしっかり住んでいるんだけど、
店も無いしここは大丈夫か?と酷く余計な心配をしたくなる。

進んでいくとやっぱり坂道を登ることになった。
疲れさえなければ楽なんだけど・・・滝のように汗をかく。

坂を登っていくと学校が見えた。使われているのかよくわからない。
道はなおも続き、小さいわりに疲れさせる島だ。
島の奥には意外にも農園があった。島というのは害獣が来ないから
植物の栽培にはいいのかもしれない。でもカラスは居るだろうけど。

Uターンしてすれ違いにさっきの郵便おじさんに会う。
とりあえず挨拶をする。原付や自転車で回ればいいのに・・・と思いながら。


この日は昼ごはんを島で食べようと思ったけど、
小手島も次に行く手島も「飲食店なんかあるわけがない」
というくらいの場所だった。おかげで倒れそうな状態になったけど、
港に自販機が1つだけだがあって良かった。昨日に続き
缶ジュース2本続けて飲んだ。これだけで命をつなぐ感じすらした。

船を待っていると、さっきの郵便おじさんも座って、
この島のことを色々話してくれた。島に子供が一人だけ居て
学校はまだやっていることや、自販機は漁協の要望で設置したこと、
仕事場をここにして丸亀に住んでいる人が居ること、
今は選挙で全部の家に葉書を配ってることなど・・・

話は面白かったけど、船に乗ったのは自分だけだった。
あのおじさんは丸亀に帰るのかもしれない。


香川県気丸亀市〜手島〜(2014月8月15日)


そして夏の離島訪問最後は手島だ。
ここも小手島と同じ船便の少なさなので
島の面積のわりに人が少なそうな島だ。

この島もさぬき広島と同じように左右を山に囲まれ、
その間に住民が住んでいるけど、
島は港から廃墟が目立った。結構住めそうな家も多かったけど
何かがあって人が急激に減ったのかもしれない。

セメントを作る工場の廃墟は形が綺麗だ。
結構写真を撮ってしまった。

この島には丸亀市手島自然教育センターという
いかにも林間学校に使いそうな施設がある。
近くで見るとやっぱり廃校の再利用のようだ。
中学生のような子供が軽トラの荷台に、何人も乗せて島を走る姿を何回も見た。

道にはヒマワリが畑に大量に咲いていて
「ぼくのなつやすみ」というゲームで見た背景によく似ている。
曇りだから下を向いていたのは残念だったけど・・・
教育センターがなんとなく育てているのかもしれない。
枯れた畑のヒマワリも見たけどゴッホの絵画を思い出して綺麗だった。


島では2時間いられる予定だったけど、
あまりの疲れに50分歩き回っただけで船に戻った(レンタサイクルはない)。

船員に「もう帰るのか(笑)?」と言われたけど、「はい(苦笑)」としか言えなかった。
とにかく疲れてしまっていろんな事がどうでも良かったのだ。
疲れと同時に島をたくさん見てお腹一杯になったという感じ。

船はもう一度さぬき広島に寄って大量の帰省客を乗せて戻った。




宮城県気仙沼市〜大島〜(2014月1月3日)

気仙沼市の大島は宮城県北部にある、その名の通り大きな島だ。
岩手県の近くなので仙台からバスでかなり時間がかかった。
島の大きさは東北一らしい。

さら地になっている気仙沼港をフェリーで出ると
テレビで見た気仙沼港の様子がよくわかった。

海と港のセメント部分があまりに近く、満潮になったら
水浸しになるのではないかと思う。大丈夫か?という感じだ。
これが地震による地盤沈下か元からの作りかはわからない。


大島の港に入るとここも全面工事中となっていて、さら地が広がっていた。
元の風景をよく知っていれば何か思ったものだが・・・ここも寂しさしか感じない。
切符売り場と仮設商店だけが立っていたので食べ物と凹んだ缶コーヒーを買う。

港近くに少し大きな山が間近に見えている。これが亀山らしい。
思わず行きたくなったが、先に街中を歩いてみたい気持ちの方が強かった。
震災前はここから一気に登頂できるリフトがあったみたいだけど
完全に撤去されている・・・後に震災で燃えたと知った。

大島は北から南に2車線の大きな国道が走っている。
雪も残る中、ず〜っと歩いたけど庭の広い2階建ての立派な家が多い。

離島の住宅とは小さな場所にごちゃっと集まるイメージはあるけど、
ここはスーパーや医院があり、休暇村という有名ホテルもあるし、
路線バスも走っている。観光案内のHPもちゃんとあるように
しっかりした島だな・・・と思って歩いていたら、
学校の校庭に建てられた仮設住宅が見えた。
やはりここも被災した人が多かったのだ・・・。

港から何kmか歩いて龍舞崎に着いた。寒さのせいか沖縄で感じたような
歩く疲れは全然感じない。ここは火曜サスペンス劇場で
犯人が追い詰められそうな場所でなかなか景色がいい。
転んだら海に落ちそうな場所だが、いい景色だ。

ここから歩いて東側の道を通って港に戻ることにした。
この島は観光案内サイトによると無人島に行くこともできる。
でも自分一人が何もない島に行く気は起こらない。冬なら余計にそうだ。
そもそも自分は「人が住んでいる島が見たい」のである。

港の東側は本当に被災が酷い場所があった。標識もガードレールも
ゆがんでいて、ここまで酷いとは思わなかった・・・。
もっと島を周りたかったが、はっきりいって島が大きくて
行けない場所が多すぎた。泊まる事を考えても良かったくらいだ。
あと観光名所もメモして行っても良かった。

残念ながら亀山は時間的にも陽の下がり具合にしても
行くことはできなかった。残念。

気仙沼大島は数年以内に本土をつなぐ300mの大橋を架けるのだそうだ。
島が震災で孤立してしまった教訓からだそうだけど、
それがこの島にとって賢明なのかもしれない・・・。



宮城県塩竃市〜桂島〜(2013月12月31日)

宮城県浦戸諸島は日本三景の一つ、松島を含んだ島々のことだ。
この諸島には4つの有人島があるので、正月休みに行ってみることにした。

まずは塩釜港から近い桂島から行ってみた。
市営船には30人ほど乗っていて少し客が少なく思う。
船はよくわからないけど速度が遅く、加藤登紀子の歌が流れている。

桂島の石浜港について少し驚いた。港が崩壊している。
堤防・セメントは崩れ、めちゃくちゃだ。桟橋や待合所は新しいけど、
完全工事中という感じで震災から3年近く経っているのに、
ここまで直されていない事に軽いショックを受けた。

港から歩いて出ると浦戸諸島島歩きマップを見て、
これに載っているお勧めコースを歩いてみることにした。
崖沿いの道は松林の続く道でなかなか味がある。
松の間からはこの諸島独特の日本庭園の巨大版のような島々が見えて
思わず何枚も写真を撮った。日本三景になるだけの事はある。
(ちなみに浦戸諸島で撮った写真は後に間違って全部消してしまった)

そのあと綺麗な海岸を歩く。
この日は天気も良くてかなりすがすがしかった。
(後で巨大な震災ごみを必死で片付けたと知った)
しかし海岸沿いの歩道がガタガタだ。以前の姿が知りたい。

島の真ん中の空き地に大量に数字の書かれた巨大な土袋が見える。
その数数千個。この袋はいったいどうするんだろう?


次にお勧めコースを外れて学校の方へ歩いてみたら
途中の道に「お米」が大量に落ちていた・・なんだろうこれは?
と思い、考えてみたものの意味が全然わからなかったが、
数日後、気仙沼大島で「融雪剤」だと知った。まぎらわしいが似ている。

学校では・・・仮設住宅が何戸も建っていた。人の気配はあまりなかったけど、
すぐに足早に過ぎ去った。カメラを首からぶら下げて、
自分でも悪い印象しかなかったからだ。

その後石浜港から次の島に移動することにしたけど、
石浜港もだいぶ崩壊している。ここにも重機が持ち込まれ
工事をしている。さら地になった場所もあり、猫が何匹も歩いていた。

時間もあるので神社や島で成功した人の生家など覗いたりしたけど、
震災のことをあまり考えずに島に行ったので、
今も残る爪あとにはため息が出てしまう。

後で調べたことだが震災で島の半分の家が流れたそうだ。
そもそも・・・宮城の島々に行くからには震災の事を
考えないほうがおかしかったかもしれない。



宮城県塩竃市〜寒風沢島〜(2013月12月31日)

寒風沢島は「さぶさわじま」と呼ぶ、なんとも寒そうな島だ。
桂島から寒風沢島まで200円で移動できる。

浦戸諸島の有人島同士なら100円で移動してくれる船があるそうだけど、
年末年始で船頭もお休みなので市営船に乗るしかない。

寒風沢島の港は桂島よりさらに酷かった・・・港が完全に崩壊していて、
海水が島に流れ込んで、それをポンプが定期的に吐き出している。
いくら離島は人があまり住んでいないとはいえ、
復興を後回しにされることに寂しさを感じた。
それぐらい大震災の規模が大きすぎたのだろうけど・・・

港から北東のほうへ歩くと大量の重機が港を直しているようだった。
そこから南のほうへ向かうと一面田んぼがあった場所が
重機で踏みならされている。そして南にどでかい堤防が建設されていた。
すごい規模だが・・・復興に使うお金はこういう所に回るんだと肌で感じた。

そこから東に歩くとここにも綺麗な海岸があった。
自然は相変わらず綺麗だけど人が作ったタイルや道は
はげたり傾いたり酷い有様だ。

そのあと神社と展望台に行く、この島々は本当にどこもいい景色だ。
松島だけが名前が売れているけど、この地域一体が名勝地なのだと思う。


次に地図にも載っている縛り地蔵という所へ行く。
この地蔵はヒモで縛られているんだけどその理由が面白い。
島には昔遊郭があり、男達の船出を止めようと遊女が
地蔵をヒモで縛って島を出て行かないよう祈願したというのだ。

そんなアホな事をやった事もすごいが、それを記憶に残すのもすごい。
というか男の女房はどう思ったんや?とも思うけど、
この島に遊郭ができるほど人が多かったのか?と若干の驚きもある。

その後港に戻るときにふと気づいた。地図に載っているものより
家がかなり少ない・・・考えてみればこれだけ港が破壊されて
家が流されないほうがおかしいか・・・。

この島はどこを歩いても足元は土と砂利と泥ばかりで
大丈夫じゃないな・・という感じだ。
震災の時は「がんばろう」と声高に全国が叫んだけど、
震災で家が流された人は他の土地で住む決意をされたら、
頑張ろうにも人が居ない時点で島は終わってるんじゃないかと思った。

この島の東側は本土側とたった100m。
いつか橋ができるかもしれないが、それがこの島のためかもしれない。



宮城県塩竃市〜野々島〜(2013月12月31日)


野々島は桂島と寒風沢島の間にある島だ。
有人島は全部で4つあるけど、もう船もないので、
この島を見て帰ることにした。

野々島も港から酷かった。工事現場で使う足場で桟橋までの道が
組まれており、ここの港も崩壊していて家もごっそりと少ない感じだ。

この島で不思議なのが岩を掘った道が作られたり、
倉庫代わりに真四角の岩の壁穴が大量に作られていること
(ほぼ使われていないが)。周辺の島も不思議な形を
しているように、やはりこの土地の岩は削りやすいのだろう。

島の真ん中の作られた岩道を進む先に墓場が見えた。
宮城県で見た墓は不思議と黒色の墓石が多かった。
いつも見る灰色の墓の2〜3倍あった。理由はわからない。

そこから東のほうへ歩き進めると海岸が見えた。
ここも海水浴場らしいが綺麗だ。大きなブナの木にかかるブランコと
ウッドデッキとベンチ・・・静かな波の往復する風景は夢に出そうだ。

ここでゆっくりしたかったが時間も無いので、東の学校のほうへ向かう。
島の東の端に建つのは浦戸中学校だ。小さい学校である。
でもあまりに不審者ぽいので数十秒だけ見て立ち去る。

他に行ってない場所を探したらラベンダー畑があったので、
咲いていないのに行ってみた。行ってはみたものの・・・やはり
来る意味は薄かった。ただこの島は花壇なようなものを結構見たし、
花を大切にしている人が多い島なのかもしれない。

その後もうろうろと歩いていたら仮設住宅が見えた。
こんな100人しか住まない島にもあるとは・・・崩壊した港から
松島周遊船からカモメに餌をやっている人達が見えたけど、
あの船とこの島は天国と地獄の差に思えてしまった。

この島々で学んだことは津波と地震の破壊力だ。
本当は東日本大震災はかなり解決したものと思ってここに来たが、
そうでない現実は見ていてつらいものがあった。


もう帰ろうと桟橋の上のベンチで寒い中40分船を待っていた。
歩く場所も無いし、足が痛い・・・今日だけでかなり歩いた。

この日は朝から何も食べていなかったので島で
飲食店があれば寄ろうとしたけど、どこにも無かった。
昨日食べ過ぎたにしても冬は缶ジュースだけでかなり歩けるものだ。

ちなみに浦戸諸島残りの一つは朴島といって、
30人くらいが暮らしている小さすぎる島だ。
はっきりいって上に書いてある島滞在ルール「30分以上」は
長すぎるので次回行く時のために「10分以上」に変更した。


滋賀県近江八幡市〜沖島〜(2013月6月22日)

沖島は滋賀県琵琶湖にある島だ。

島=海の上にあるイメージだったけど、琵琶湖に有人島があったのは驚いた。
今年J1リーグのない暇過ぎる6月に向かってみることにした。

困ったのが車を置く駐車場だ。どこに留めればいいかわからず、
いろいろ検索をしたら港の近くの休暇村というホテルに留めておけと書かれている。

よし、じゃあそこに留めるかと置いたけど港までが1kmと地味に遠い。
・・・というか、そこら中に路駐している車も多く、
別にホテルに留める必要が無かった。


港はまさに沖島民の駐車場&漁師の港という感じで、
殺風景と言っては失礼か。港の待合室にトイレが無いのはつらい。

船は1日11便と多く出ていて行きやすいけど、
片道10分弱で500円取られるのは地味に高い。
沖島の人は200円で乗れるそうで、船は沖島民のために動いているんだろう。
船に子供達の新聞やメッセージが載っているのはいい雰囲気があった。

沖島に到着したら港には船がかなりあった。
漁業で飯を食っている人が多いから当然だけど、湖だからか海の港特有の
潮(しお)の臭いがまったくしないのはとても不思議な感じだった。

まずここでは島唯一の神社に行ってみた。急な階段に汗が出るけど、
なかなか味のある境内ではあった。次に西の端まで歩いてみることにしたが、
何人か島の人達と顔を会う。漁村特有の縦長な家が多く、洗濯物は自宅でなく、
道の物干し竿に皆干しているから、この日は天気が久々に良くてたくさん干してあった。

西の端には民宿があるが泊まることなく、ちょっと覗いてUターン。
次に北の採石場跡という場所へ歩いてみる。琵琶湖がよく見えて輝いている。
岸沿いの向こうには蓬莱山に雲と太陽がかかっていて綺麗だ。
どこか「もののけ姫」の世界を思い出す。

道沿いでは結構な大きさの畑がいくつも見えて、おばさんが何人も世話をしていた。
不思議なのが目の前に琵琶湖の真水があるのに、
畑に桶やバケツが大量にあって水を溜めていることだ。
琵琶湖から水を汲むのが面倒なんだろうか。

何も無い採石場方面から港に戻った後、
東の小学校方面を歩く。学校は小さいながらも綺麗で風情があった。
ただ親子参観ぽく人がいて自分はやばい人に見られた感じがする。

東に向かうと、ここでもそこらで畑が見える。
この島の人はかなり畑が好きなのかもしれない。

行き止まりには最近作ったような赤い鳥居が見えたが
港の近くの神社のような風情は無い。その後港に戻ったけど、
ここでは4時間居たものの名物料理は食べなかった。
どうも淡水の魚は食べなれてないからだけど・・・弱気すぎるかな。それも。

教訓:港の駐車場近辺は路駐もアリと言えばアリ。



滋賀県長浜市早崎町〜竹生島〜(2013月6月23日)

沖島で歩いた翌日、琵琶湖の竹生島にも行くことにした。

しかし、ここは行ってみたいと思わない島だった。
まず竹生島は西国三十三所観音霊場の第30番札所の宝厳寺があり、
船代が高い。彦根から往復で3300円+拝観料400円も取られる。
片道40分の船とはいえ高すぎる。
セコイと言われたらそれまでだが、いくらなんでもな値段だ。

それでも日曜の朝一の便には80人以上も乗っていて、
霊場めぐりの服を装備している人もいた。

自分も四国八十八ヶ所霊場に憧れはあるけど、
島の霊場はいともたやすく商売に利用されるのだな・・・
と、しんみりと思ってしまった。

船では島や周りの解説の放送が流れて、
演歌や歌謡曲も流れてきて何か変な気分だ。


予定通り40分かかって島に到着・・・。
一目見て考えていたより良い島だと思った。
例えるなら「千と千尋〜」の世界にありそう(自分の例えはジブリばっか)だ。

急な階段と寺を結ぶ橋、見事な木目の彫刻と木造の廊下、
皿を鳥居に投げるという変な風習も面白い。

詳しくはうまく解説はできないけど
ネット上に写真とか動画を見ればすぐわかると思う。

しかし、この島は船の都合上70分しかいられない。
しっかりと周ろうと決めたがピッタリ60分弱で周り終わり、
客の時間すら船会社に読まれていたとは・・・面白みに欠ける。



沖縄県国頭郡〜伊江島〜(2013月1月3日)


伊江島は沖縄本島の北西にある島だ。
この島は沖縄ちゅら海水族館からよく見える島と言ったほうが、
沖縄に行った人にはわかりやすいかもしれない。

この日は伊江島まで年末年始特別で往復8便も船が出ていた。
夏季より便が多いのも変だけど乗ることにした。
本当は翌日伊江島に行く予定だったけどこの日を逃すと、
明日からの往復4便は少なくてキツイ。3日と4日の予定を入れ替えだ。

だけど天気はすごい風でフェリーはすごい揺れだった。
船は大きいから不安は無かったけど、小さい船だったらどうだったんだろう?

伊江島に到着した後、2日前の反省でさっさとレンタサイクルで島を周ることにした。
天気は霧雨と強風が吹いていてレンタサイクルの人もやめた方がいいような事を言われる。
自分だってその気持ちはあったけど、今日を逃したら
いつ行くかわからない(というか伊江島にもう来ないと思う)ので、無理して借りた。


さっそく東の方へ向かう。霧雨も止んで走りやすい。
しかし・・自転車で進んでもなかなか向こう岸が見えない。

わかっていたことだけど、この島は大きすぎる。
島の面積は22.7平方kmで新宿区より大きい。名古屋市瑞穂区なら2倍だ。

島は森が全然少なくて畑や牧場だらけだ。牛や肥料など畜産の臭いが延々とする。
まあ野生的な臭いは嫌いではない。ここでは牛とかなり目が合った。


今日は船の時間に余裕があるからと、ゆっくり自転車を走っていたら
また小雨が降り始めた・・・しかも風が相変わらず強くて、
ジャンパーの帽子を使い雨風の中ずっと走り続けたけど、
いつまでも止まない小雨には、こんなことをしている自分に後悔した。

「島を走ってもお金にならず、何にもならない行動に価値はあるのか?」
「何をやってるんだろうな、いや本当に何をやってるんだろう?」
「やってることはカエルの置物を集めてる主婦と同じで、行動にゴールが無く不毛・・・」
「ちょっと寒いし、周りに誰もいない。島巡りなんてやめてもいいよな・・・」
「・・・でもとりあえず、今日は巡るだけ巡らないと」という感じだった。


風力発電やゴルフ場や北の道を抜けて、
小雨の中1時間走って、見てみたかった伊江島空港に到着した。

しかし倉庫にセスナが1機見えただけでターミナルは廃墟と化していた。
なんでも開業2年で廃止されたそうだ。地図には堂々と載っているけど、
使わないのに載せる意味があるのかな?何のための空港だろう。

ここで流石にもう戻ろうと思って港に向かおうとしたけど、
下り坂が楽で気持ちいいのでニャティヤ洞というのも向かってみることにした。

ニャティヤ洞は・・なんというかただの大きな洞窟だ。
子宝がどうとか書いてあったけど、
戦中は千人洞とも呼ばれ、防空壕として活躍したそうだ。
ここもなぜか聖地扱いされている。

外に出てヘリの音がうるさいので北西の米軍演習場のほうを見て少し驚いた。
オスプレイが2機飛んでいる。オスプレイというのは昨年から騒がれている
米軍の新型ヘリで、墜落もちょっとあって、なかなかの欠陥兵器として有名だ。
この島には来なきゃ良かったなと思ったけど、珍しい鳥を見るようで少しだけ満足した。

その後港付近をウロチョロして帰りの船に乗る。
何気に島にコンビニが2件あったのはすごいかもしれない。

島の目印とも言える城山という小さな山は残念ながら行かなかった。
港に戻ったらもう精神的に限界で、ここを早く出たくて仕方なかったのだ。

教訓:やっと行けた場所が雨で大きい島の場合は
行きたいルートだけを港で考え直す。無駄走りしない。




沖縄県南城市〜久高島〜(2013月1月1日)


久高島は沖縄県本島の東南に位置する東西に細長い島だ。
ウィキペディアのデータによると人口は200人弱らしい。
なぜかこの島は昔から本島から聖地扱いされている。

この島に行く船は往復6便と結構ある。
だけどこの日、島には2時間しか居られず急ぐことになった。
(その理由は2013年1月の月誌を見てください)

フェリーには結構人が乗っていて50人以上居た気がする。
なんだかんだ言っても沖縄は冬でも
どこに行っても観光地として人気なのだろう。
フェリーも車が乗せられるタイプで
この島の人口でこの船が要るのか?という感じだった。


港に到着したら時間がないのでさっさと歩き出す。
港のそばには壊れた電化製品が積まれている。うーむ。

まず東の先のカーベル岬向けて歩く・・・が、
すぐ自転車借りれば良かったと後悔した。

暑い・遠い・荷物が邪魔でしんどくて、すぐ汗だくになった。
自転車は後々見たらレンタル価格1時間1000円かと思ったら300円だった。
典型的な下調べの失敗だ。この岬への往復で2時間が過ぎそうだ。

岬に向かう道中ピザ浜という海岸に下りてみる。
そこはサンゴ礁が広がっていて、波が海岸まで来ない・・・。
海岸なのに少し遠くに波の音が聞こえていて、
とても不思議な感じだ。時間があれば20分見ていたい場所だ。

元の道へ戻り、地面は土、左右に南国らしい茂みがある
夢に出そうな道を延々と歩いていく。島に畑は少なそうだ。

そしてなんとか岬に到着。観光客の大半は来ているけど、
ただの普通のサンゴの岩場という感じだ。
少し休んで、写真を撮った後また急ぎ足で戻る。

今度は北の方の港に戻る道を歩く。舗装されていて歩きやすい。
途中聖地クボウウタキも寄ったけど、入るなと普通に書かれている。
結局島に入って1時間半かかって港付近に戻る。


まだ少し時間があるので住宅街を歩いたけど、
この島は平屋の沖縄らしい瓦の古い家が多い。沖縄はイメージと違い、
鉄筋コンクリートの家ばかりで、瓦の家が多いのは少し珍しく思えた。

島の廃墟は2割くらいだろうか?この島は住む人が無くなっても
観光には困らない場所だろうけど、
島が聖地だからかとても静かな場所という感じだ。

そして立派な小学校があるが高い建物・土地が少なくて
津波が来たらどうするんだろう?と思う島だった。
しかし疲れた・・・

教訓:島に来たらレンタサイクルの金額を聞く。
島で時間が無い時は住宅街を散歩するだけでいい。




三重県鳥羽市〜答志島〜(2012月11月3日)

鳥羽市最後の島は東西に長い答志島だ。
この島はかなり人が住んでいて、東と西に住宅街がある。

まずは西の桃取地区で船を下りて
そこから東の答志地区に向かおうと考えた。
しかし、またもや寝坊をしてしまい、鳥羽図書館から鳥羽駅の近くの佐田浜まで
30分早足で歩くことになり、島に着く前に少し疲れてしまった。

その後12時10分の船に乗り15分で答志島桃取地区に到着。
さびれている・・・のは島の日常だけど、風が強すぎて寒い。
朝は晴れていて先週の名古屋と同じ格好で大丈夫と思ったけど、
ジャンパーかブレーカーを着るべきだったとすぐに後悔した。
寒さには釣り客も少なく11月の寂しさを強く感じる。

降りたら昼食どうですかというおばさんが居た。
食事程度に呼び込みをする人を初めて見た。

まず案内地図に載っている島ヶ崎灯台を目指す。
小学校の真ん中を通り、道を進もうとするが・・・
山に続く一人しか通れない階段が見えて進むのをやめた。
今日はかなり歩き回るからここで疲れたくはない。

港に戻って気がついたけど、この島は車が多い。
この港だけで50台くらい置かれているが車検切ればかりだ。
たいして乗らないから当然なのかな。

それから住宅街をうろちょろ歩く。
寺や神社や天神山という小山を登ったけど印象は低い。
桃寿橋という2車線の橋は気になったけど
他の島のように公共事業の恩恵で作ったんだろう。
もう桃取を離れ、答志に向かって歩くことにした。


答志島は桃取と答志地区を結ぶ6kmの道がある。
答志島スカイラインと名付けられているけど
普通の車線もないアスファルトの道だ。
晴天の中、菅島の景色も見えて歩くのは気持ちが良かった。

午後2時頃に答志に到着。
やはり島の中心なだけあって港に釣り客が結構いる。

まずはこの地区の観光地らしい首塚と胴塚に行ってみる。
首塚は景色はいいがただの小さい墓があるだけだ。
関が原の敗軍の将、九鬼嘉隆がここで自決したそうだけど、
まさか死んだ人も観光地扱いされるとは思わなかったろう。

そこから北の町に歩くけど上り坂の向こうで思った以上に遠い。
途中八幡神社に寄るけど神社も橋もきれいだ。
鳥羽の島はどこも神社に手厚い気がする。そういえば町中に
八と書かれた落書きが見えるけど、これも風習の一つらしい。面白い。

さらに歩いて定期船乗り場が見えた。ここで初めて
この北にある町が答志地区であって、さっきまで居たのが和具地区と知った。
東西にしかないと思った船乗り場も桃取と和具と答志の三つあったのだ。

町の北に進むと2車線のトンネルが見えた。
島にトンネルとは違和感バリバリで、迂回路を作ったほうが
作るのが安くて便利なのでは・・と普通に思った。

トンネルの向こうは港と公園だけだった。遠くに見える愛知からは
猛烈な北風が吹きつけてくる。寒いし、疲労で左足の付け根が痛い。
夕暮れも迫っているし、もう一度和具港に戻ることにした。

帰りに答志漁港の前の住宅街の中を通ったけど、
ここは以前「はじめてのおつかい」という子供に仕事をさせる番組で
一回舞台になったことを思い出した。あれは変な番組だったな。

しかし帰りの船まで1時間半あるので、
距離も短いし、山の上の岩屋山古墳に行ってみることにした。
今日だけで25キロ以上歩いて限界は近かったが・・・

足が痛いのに山登りは気が滅入ったけど、
てっぺんで和具港や夕日を見るのは気分は良かった。
夕闇が迫ってきているので古墳はもう見ないで山を降りる。
この後港で船を待ちながら小さな満足感を持って島を後にする。
今回は寒さと疲れで気を抜いたら立ったまま眠りそうなくらい疲れた。


教訓:11月の島はウインドブレーカーを用意する。
釣り客は全員装備している。大きな島は早めに行く。


これで三重県全部の島を回ったけど、
どこもゴミが多かった・・・という印象がある。

島だからペットボトルや木のゴミは流れ着くのは仕方ないけど、
漁で使う浮きやヒモが雑に積まれているのが多い。
使うのならいいけど長年置いてゴミ同然になったり、
錆びきっていたり、なんかどうしようもないなって感じ。

観光客だけがゴミを出し続けるように看板に書かれるのも気に入らない。
島の自販機の横にゴミ箱が無い店とかどうなんだと思う。

良かったのはどこもまともなトイレが用意されていたのは助かった。
答志島では寒くて5回トイレを使った。
海水浴客や待合場のためだから用意されて当然ではあるけど。



三重県鳥羽市〜神島〜(2012年9月22日)

鳥羽市神島は愛知と三重の県境にある島だ。
どちらかと言えば愛知にかなり近い。

船便は鳥羽から片道4便出ていて、早朝は無理だけど、
夕方に行ったら島に泊まるしかなくなるので、昼前の船に乗るしかない。
例によって鳥羽図書館に車を置き、中之郷の港まで歩くことにした。

船は丸1時間かかって(20分以上は停船してるが)神島に到着。
まずは島内一周のために学校の方に歩き、
監的哨跡(砲台の着弾の様子を見る小屋)に向かう。

9月下旬で暑さも少しやわらいだけど、
延々と続く階段の多さに汗が滝のように吹き出て
運動不足か頭もくらくらする。神島は恋人の聖地100選に選ばれているけど、
男女二人で喜んで行く場所じゃないな。(二組くらい居たけど・・・)

さらに階段を上り下りして神島灯台に向かう。
しかし菅島ほど灯台におもむきは無い・・・。東の方を見ると伊良湖岬がよく見える。
それに異常に目立つ建物が見えるがあれはなんだろう?
後で調べたら伊勢湾海上交通センターという海の交通を整理する司令塔らしい。
確かに愛知に向かってコンテナを積んで行き交う船が多いから必要なんだろう。

他にも篠島や南知多町や発電所もうっすらと見える。
どうせなら愛知と神島を行きかう船もあればいいのにと思うけど、
わざわざ神島に来る人も居ないか。

次に道を下り八代神社を見る。これも普通の神社だけど、
ここにも100m以上ありそうな階段には下からは登れないなと思う。

港に戻り島内一周完了。ちょうど1時間かかった。
残りの2時間は街をうろちょろしたり、ボーっと海を見たり、写真を撮ったりした。
気になる廃屋率は2割くらいかな?

ところでいつも島の家々を見て思うけど
住宅がこれだけ密集して住んでいると、隣の家のテレビや声で
迷惑はないのだろうか?慣れれば温かい近所なのかな・・・

この島は階段が多くてとても疲れる島だった。
そういえば神島は映画「潮騒」の舞台になったと何度となく見たけど、
1回だけかと思ったら、5回も映画になっていたのはビックリ。
そりゃもう猛プッシュするわけだなあ。

教訓、夏はペットボトルを持って島に行く。



三重県鳥羽市〜菅島〜(2012年5月26日)

鳥羽市二島目の訪問は菅島だ。
本当は神島に行く予定だったけど、寝坊して菅島に変更。
この日は朝からとても天気が良くて散歩日和だった。

島に到着すると住宅街を抜けて灯台に向かった。
わかっていたけど島が大きいから遠くて坂は登って汗が吹き出した。
途中おんま浜や砲台を見る監視所も寄った。いい景色だけど
島巡り慣れしてきて何もない・・なんだかなという感じ。
その後、白髭神社という小さい神社に行った。
道が舗装されていてとても歩きやすい。

港に戻ってきて住宅街を周って、次は島の西の採掘場の方へ歩くことにした。
島が大きいから骨が折れそうな感じがしたけど、坂道でへばった・・・。

ここまで歩いて食べ物のパンは無くなり、ペットボトルもだいぶ飲んでしまった。
そしてぜえぜえ言いながら分かれ道に出た。採掘場まで歩くつもりだったけど、
ただの行き止まりだったら戻るのが精神的にかなり厳しいので、採掘場行きはやめて
当初の予定通りに山の方を目指した。しかしこれが人一人しか通れない細い急な階段道・・・

4週間前の坂手島の山道を思い出して流石に気が滅入った。
「そもそも自分はなぜこんな島を探検しているんだろう…」
「何を一人で冒険気取りだろう、川口浩か…くだらない…」
「意味なんか無いよな。というか自分の人生一人意味無いことばかりしてきた…」
などなど愚痴が頭の中に思い出たけど、坂の先の光を抜けたら
目の前に採掘場が眼下に広がったのはラピュタ的に感動してしまった。

あまりの景色にボーっとできて、かなり疲れが吹き飛んだ。
ここで初めてこの島に来て良かったと思った(人には勧めないけど)。

ここの採掘場は新幹線の敷石や港で使うそうだ。
それにしてもすごい量を削った。昔はもっとあったんだが・・・
今は見た目を考慮して緑を増やしているようだ。

ここからは他の山の中の道を歩いて港まで戻ったけど、
帰りは下り道だから少し楽だった。途中大きな石碑があったけど
80年代に自衛隊の飛行機が2機山に墜落したそうだ。

菅島で驚いたのは島名物(?)である廃墟の少なさだ。
ほとんどの家に人が住んでいる。
地図で見て他の鳥羽の島より過疎と思っていたけど、
港には船や自転車・原付がたくさんあって、港は中高年や釣り客が常にいる。
客も数十人とそんなに悪くはない。
空き家が少ないのは大採掘場の影響もあるのかもしれない。
でも子供は流石に少なかった。小学校は大きいけど。
教訓、5月の晴れた日は暑い。長袖シャツを考える。


三重県鳥羽市〜坂手島〜(2012年4月30日)
三重県の離島といえば鳥羽だ。鳥羽にはいくつも離島があるが
今回向かうのは江戸川乱歩の奥さんの故郷・・・というくらいしか
特徴のない鳥羽市坂手島だ。

鳥羽の港から片道220円で10分程度で行ける小さい島・・・ではあるが、
イオンに車を置いて乗船場まで歩いて、島を周ると坂が多く、
結局かなり疲れることになった。

地図で見ると家は多いから廃墟が多いのかと思ったけど、
廃墟率は2割くらいだろうか?そんなに多くない。
理由は簡単で対岸に鳥羽の市街地とホテルが
これでもかとあるから、仕事に困ることはないのだろう。
かつては典型的な普通の漁村だったと思う。
でも対岸の街まで微妙に遠いから橋が架かることは絶対ないだろう。

島の小学校は廃墟、保育所も廃墟だった。
小学校は数年前まで生きていたようだ。
階段は白いペンキが角に塗ってあって急だけど歩きやすい。

驚いたのは神社がとても綺麗だった。掃除をしたばかりなのだろうか?
雰囲気も伊勢神宮に似ている。信教深い人が近くに住んでいるのかもしれない。
残念ながら池一面のカキツバタは見れなかった。
場所がよくわからなくて、地図を印刷して持ってくればよかった。

次は島の西の端のホテルニュー美しまへ行ってみた。
ここは近鉄電車から看板が目立っていたので気になった。

が、途中で道が細くなり、ついには立ち入り禁止の細い道を歩くことになった。
なぜ大きな旅館が島にあるのに住宅街まで道が
しっかりしていないんだろう?理解できない。

ニュー美しまは運営しているはずだが、とてもひっそりして雑草が茂っている。
GWなのに奇妙だが・・・まあ入ることもなくスルーして、この先に向かおうと
海岸線を歩こうとしたが行き止まりだ。でも森の向こう側からロープが出ていて
ここを上れば何かありそうだと向かったが選択が最悪だった。

山道をかき分けながら山の中を必死に進んだけど、島の真北に出てしまっただけだった。
そこからの帰りは海岸沿いに慎重に岩道を歩いて滑らないように、
波でびしょ濡れにならないように歩いて戻った。とても疲れた・・・。
教訓、島の山道には行かない。地図・傘を持つ。
(関係ないがニュー美しまのネット上の評価が…)



愛知県西尾市一色町〜佐久島〜(2011年11月30日)

愛知県最後の離島は佐久島だ。この島は日間賀島や篠島の近くにあるのに
島に向かう港や航路が全然違うからとにかく面倒だ。

朝7時に名古屋を出て名鉄で知立へ、そこから西尾線に乗り換え
西尾駅へ、さらにバスで30分走り、佐久島往きの船で20分で島に到着したのが午前10時前・・
日帰りで三重まで帰らないといけないので、すぐレンタサイクルを借りる。

この島は島中に芸術作品を多く飾る独自の離島振興が面白い。
住んでいる家や街の雰囲気が良く、花も道のそばに植えられ、
芸術家も結構住んでいるようで300人弱しか住んでいないのに、
島の豊かさと静けさには好感が持てる。島の形も面白く、
自分もこういう所で芸術作品を作り続けられたら幸せだなと感じる。

しかし地図で見て大きい島だとは思っていたけど、実際走るとやはり大きい。
レンタサイクルを3時間借りても島中周りきったという感じが無い。
11月の肌寒さと軽い頭痛もあって周るのは苦しかったが、
船の本数が少ないのでゆっくりもできない。

この島の名物「大アサリ丼」元祖の店へ食べに行ったけど、
客が多く、店も綺麗とは言えず、いらっしゃいませも何も言われず、
私服の漁師っぽい男が「何食べます?」と言って、
かなり待って出てきた大アサリ丼も衣が大きいアサリの揚げ物に唖然とし、
とにかく突っ込みどころが多い店にはインパクトがあった。

この島は渡船が1日6便の少なさに最後まで気が滅入った。
帰りのバスも全然少なく、何かの間違いで乗れなかったら
あんな港からどうやって帰るんだろう。
できればここは船の本数が多い夏に来たほうが
いいんだろうな・・と今さら思う。

これで愛知の3島はすべて周ったけど
日間賀島や篠島が観光で大にぎわいなのに対して、
佐久島は仲間外れにされた島という感じがしてならない。
3島をぐるぐる回る船があればいいのだけど・・・
逆に芸術家の島が悪い方向に向かってしまうかなあ。



三重県志摩市磯部町〜渡鹿野島〜(2011年11月20日)

うっかり忘れていたけど志摩市には渡鹿野(わたかの)島という島がある。
この島は自分がネットで調べた島の中で一番驚いた島だ。

渡鹿野島は別名「売春島」とも言われ、この島で遊んでいく男も多いんだそうだ。
自分の身近な街にそういう島があったのは流石にワクワクした(性的でなく少年漫画的に)。
この時代に、そんな明治や昭和の臭いがする設定の島なんてそうそうない。

島に着くといきなりおばさんに話しかけられ、
「いい娘いるよ」と紹介される。散歩に来ただけだと適当に話したけど、
やけに人馴れした人で面白かった。後で思うともうちょっと話をしても良かった。

最初に向かったのは渡鹿野園地、何も無いんだろうなと思ったけど
やはり何も無かった。木でできた展望台があったけど危ない。近いうちに割れそうだ。
相差町などが見えるけど結構遠い。周りに船は少ない。

テクテク歩いて再び町の中心部に戻るが、やはり廃墟が増えつつある島という感じだ。
ホテルも何件かつぶれていて10年後はさらにもう2件つぶれていてもおかしくは無い。
港から見えるホテルは立派で綺麗だけど、こんなに大きいのを建てて大丈夫かと思う。

次は的矢方面に歩くがちょっと遠い。この島はハートの形をしているけど
両翼が遠すぎる。何十分歩くと隅にたどり着き、対岸に的矢が見えた。
とても近いけど橋をかけるには少し遠いか・・・しかし小さい待合室だ。

次は保育所に向かった。島の学校というのは未来が
見通せるようで安心のイメージがあるけど、
残念ながら廃墟となり、倉庫と化していた・・・やや悲しい。

中心部に再び戻ると昼頃には少なかった港に、釣り客など増えていた。
この島は中高年のおばさんや外国人女性がよく歩いているイメージをしていたけど、
結局ここでは女性はあまり見かけず、漁をしている色黒のオジサンばかりすれ違っただけだった。

寂寥感のある11月の「昼間」に来たからか、この島は何か夢のあとのようなものを強く感じた。
いろんな欲や夢を吸い取って枯れてきたのだろう・・・。とはいえ、女と遊びたい人は
万札握り締めて行くといいと思う。他の人が書いた体験談面白かったし。
自分は島を周るという大儀があったので遊ばなかったけど、
わざわざ島に来て、わざわざ2万円こんなことに使うのも悪くないと思う。


ここからはただの愚痴になるけど、この島のアクセスは面倒だ。
まずこの島のホームページが無い。他県の観光島は普通にあるのに、
大きなホテルも自分の店だけ考えず作ったほうがいい。
すべての客船の運行時間や駐車場など知らないと行きにくい。

3箇所島に向かう船があるので、自分は最初的矢に行ったら
船の運行時間は朝か夕方、つまり学校の登下校にしか動かないので一旦帰った。

あるホテルのHPに国府側から行って下さいと書いてあるので、
国府側に行ってみたら車を置く場所が無く、
どこもホテルに泊まる人用の駐車場しかない。路駐は嫌なのでやはり帰った。

日帰り歓迎なら渡鹿野島観光者用の無料駐車場を作ればいい。
お金がかかるのはわかるけど、ほとんどの人が車に乗って対岸に来るわけだし。
駐車場が無いデパートみたいで、それにはガッカリ。

個人的な意見だけど、この島は対岸が200mくらいなら橋があった方がいい。
離島の風情やホテルの価値や売春商売も薄くなってしまうけど、
このままでは間崎島並に廃墟島になるのが目に見えている。



愛知県知多郡南知多町〜篠島〜(2011年9月24日)

篠島は愛知県の三河湾にある少し変わった形の島だ。サッカー観戦した翌日、名鉄河和駅から
名鉄の高速船に乗って向かうことにした。高速船は名鉄の時間に合わせてあると
どこかに書いてあったけど、河和港で50分待った。
おそらく15分前についた電車に合わせて時刻設定されていたんだろう。

この高速船は日間賀島と篠島と伊良湖岬に向かう船で、
この日は篠島と日間賀島を半日かけて探訪することにした。
まずは篠島港に着くと、もうとにかく観光客が多い。先週行った島と大違いに驚く。

とりあえず観光協会に直行。そこでレンタサイクルを借りようとするが、
海岸まで15分で周れるとか、坂が多いですとか・・変に勧められない。
そういえば無料の観光地図に「歩いてみよう」とか書いてあったけど、
前日は名古屋の瑞穂運動場から名古屋駅まで歩いて少し疲れているので、2時間500円で借りる。

この日は天気もよくサイクリングに最高だった。島の道も悪くなく、
不自然なほど綺麗な海岸には熱海を思い出すような感じ。
ただ海岸から対岸の渥美半島がでかでかと見えたのは不思議な感じだった。
発電所やコンビナートがよく見えているのだ。
ここは島・・・というけど360度愛知の半島の建物や走る船も多く、島独特の寂しさを感じない。

島の南に行くと細いあぜ道がある。島に着いたら行ってみようと
行く前から決めていたので自転車を置いて歩いてみたが、
誰にも会うことが無く、隣の小さな島を覗いたり廃墟を発見できてやっと、
ここにきてやっと離島に来たなという感覚を味わう。
やはり島には観光地なのかなんなのかよくわからない小道が無いと面白くない。

そのあと島の山沿いを歩いたあと、入り組んだ街中に入り、自転車を再び乗り北側のほうも回ってみる。
この島は魚市場を除くと、北側は不自然に四角だけど、綺麗に埋め立てたんだろうか?
その辺はウィキにも載っていないのでわからないけど、島を発展させるためなら埋め立てるのはいいなと思う。

北側にはとにかく釣り客が多い。全部で100人以上いる感じだ。
がっしり堤防もあるし、釣りをする島として定着してるのかもしれない。

そして地図を見ていて謎だった北の変な池とその周りの公園の正体は、パターゴルフ場の廃墟だった。
観光協会のHPにも載っていないのでずっと気になっていたが、黒歴史だったのか。
島の発展のために、次はここの土地をどうするかだな・・となんとなく思うが、
次行くのはいつになることか・・・。

個人的には結構面白い島で好感を持った。
ちなみにこの島の名物はしらす丼らしいけど、別に珍しくも無いので食べなかった。



愛知県知多郡南知多町〜日間賀島〜(2011年9月24日)

篠島を周った後は日間賀島に向かった。日間賀島は愛知県で一番有名な離島だ。
篠島がレコードのB面とするなら、日間賀島はA面といってもいい(この例えもよくわからないが)。

まず島の名前がいい。日の間に賀正の賀、休日や平日でも間があれば来ればいい感じがするし、
呼び名は「ひまかじま」でヒマなら来てよねーって感じがすごいする。
たまにテレビで愛知の離島のグルメ紹介されるけど、名前が篠島より変わっていて覚えやすい。

この島は愛知の人口が多いのに、名鉄の路線で岐阜からも来やすい感じもあるから、
とにかく観光客が多いんだろうなって感じが港からすごいする(現に多いが)。
なんだかお金を使う場所も隣の篠島より多い感じだ。

そういえばここのレンタサイクルは1時間500円だったし、
ジュースもチェリオが20円高く設定してあり、商魂たくましい。
一番驚いたのは日間賀島の観光サイトのお嫁に来ないか!日間賀島という企画で
女性向けに参加費8000円という値段設定。
嫁を呼ぶのならもっと安くてもいいだろ!と思ってしまった。

ここは篠島以上にホテルも民宿も多く、高台からの眺めも良さそうだ。
隣の篠島や知多半島もよく見えて、一度は泊まってみたいものを感じる。
島の名物料理はタコとトラフグらしいが泊まらないから説明はできない。

この島が変わっているのは島をぐるっと2車線の道路が囲んでいることだ。
ここまで整備された島も珍しく、まるで人工島のようだ。
ここでレースとかできたら面白いなあ・・・って感じだけど。

ただ自分が行った時は港周りはゴミが多かった。
島だからゴミが流れ着くのは当たり前だけど、
船も人口(2000人)もこれだけ多く観光島ならもっと掃除してもいいように思う。


三重県志摩市〜間崎島〜(2011年9月17日)

志摩市唯一の有人島。賢島から和具へ向かう志摩マリンレジャーの船で向かうことができるけど
間崎島に到着するとき、船が放送でプーっと音が鳴るだけで、港にしっかり留まらず一回通り過ぎてしまった。
和具に着いてから操縦士に説明してまた島に向かったけど、半切れしていて参った。
「島に着いたらマイクで話すとか、音楽とか鳴らすだろ?普通」とこっちが怒りたかったのだが。
(もし行く人がいたら船で操縦士に間崎で降りますとしっかり言うといいでしょう)

間崎島で降りて、なぜ簡単に通り過ぎるのかすぐわかった。
まず人がほとんど居ない。人口は150人以上暮らすと書いてあるけど、そうは見えない。
道を歩いている人がほとんどいない。子供は当然いなくてほとんど中高年の方だけだ。

そして廃屋が多い。家は多いんだけど、パッと見6〜7割は無人だと思う。
しかも何件かは結構いい家だから勿体無く思ってしまった。
真珠産業華やかなバブルの終わりに立派な家を建てたんだろうか。
でも逆に小さな家に住んでる人もいるから、何か理不尽なものを感じる。

島は何台か廃車が放置され、盗まれないからか港に網や浮きが雑に置かれている。
この島はやはり漁師が仕事場に近いからここに住んだ場所というのを強く感じた。
民宿は意外と多く3件もあったのだが、それも副業なんだろう。

個人的には、ゴーストタウンのようだけど家も壊れかけは少なく味のある雰囲気だったが、
ここを歩いていた自分は間違いなく部外者であり、不審者に見えたであろうとアリアリと感じた。
ヒゲはしっかり剃り、わざとらしくカメラを持っていたほうがいいかもしれない。


三重県鳥羽市〜イルカ島〜(2010年8月)

イルカ島は自分が小学3年生に遠足で行った場所だ。すごく楽しかった思い出があり、
島漫画の参考もかねて、また行ってみたいと思っていたので行くことにした。

まず鳥羽の港で変な船に乗って出発することになる。
値段は地味に高いけど往復の船の時間が長く、島は園地なので妥協はできる。

夏で休日だからかイルカ島に行く人は結構多くて、
島でも150人以上は観光客は居た気がする。

イルカ島のメインはイルカのショーとアシカのショーだ。
ショー自体は普通だけど、よく調教したなと思う。
他にも海水浴ができる海岸や異常に高い展望台、
それに小学生のときにスタンプラリー(今考えると子供だましだが)で楽しんだ覚えがある。。

イルカ島は無人島だと思うが実際よくわからない。施設的に数人住んでいるかもしれない。
ウィキペディアに情報が書かれてないけど、誰か(関係者)しっかり書いて欲しい。



いろんな島物語(2011年9月15日〜)

ここでは自分が楽しんだ島を舞台にした物語を話したいと思います。
ネタバレもかなり含んでいるのでタイトルを見て引き返したい人はどうぞ。
作品は徐々に増やしていくので気長に見てください。
LOSTはすでに書いたので、他の話を・・・。



「南の島のフローネ」(アニメ)

自分が最初、無人島物語で子供の頃に衝撃を受けたのはやはりフローネ。
これで無人島で生きていける素晴らしさや苦しさを全部教えてもらった気がする。
いろいろありながら家族全体で生きていくってのが良かった。内容はほぼ忘れていたが
この前、総集編見たけど地震や噴火を理由に島を脱出したのは意外だった。
最後に船で飢えに苦しみながら小さな船で生きようとする姿は流石名作劇場だった。

「6デイズ7ナイツ」(映画)

結婚寸前のOLが南の島でハリソンフォードに出会って、
かなりのサバイバーなハリソンフォードに惚れるという話。
恐ろしく中身スカスカの映画で見る価値を問う映画でもある(笑)。
おそらくスタッフも俳優も南の島のロケがやりたかっただけではないのかと思う。

バトルロワイヤル(映画)

「これからみんなで殺し合いをしてもらいます」とビートたけしが生徒に命じて、
クラス中で島の中で生徒同士が殺し合いをする映画。殺し合いが喜劇のようで面白いんだけど
主人公とヒロインが最後に生き残るのがわかり過ぎて、それだけが面白くない。
個人的には生徒一人一人に変な武器を与えるよりも、立ち入り禁止区域の存在が良かった。
これは公開して10年後くらいに見たけどもっと早く見ても良かった。
しかしバトルロワイヤル2は酷かった・・・竹内力もおかしいな?って思わなかったか。


「エデンの檻」(漫画)

中学生の修学旅行中に飛行機が落下、絶滅した生き物が住む島に不時着する・・・。
マガジンらしいサバイバー漫画で、生き物との生存競争(バトル)や
仲間同士の友情や裏切りや恋やセクシーシーンや謎など
主人公からヒロイン、脇役にいたるまで実に率が無い漫画だ。
今、日本で一番理想とも言えるLOST漫画といえるかも。
でも島という設定にするには、島がでかすぎるかな(笑)。
自分の描いてるやつも全員制服着せれば良かったと今さら思う。

「彼岸島」(漫画)

松本光司の漫画「彼岸島」。吸血鬼が支配する島に乗り込んだ者達の話。
ホラー漫画らしく怖いが、吸血鬼が人間から血を吸い取る仕組みが気持ち悪い。
人間を便座に縛りつけ豚のように食べ物を与え続け、
死ぬまで人間が血を吸われる姿は強烈な印象だった。

序盤は気持ち悪く強すぎる吸血鬼に、どうするんだ?どう逃げるんだ?と
ハラハラの展開だけど・・・後で修行し、強くなってからは
吸血鬼を日本刀で簡単に瞬殺し、次々と強い吸血鬼が出てきても、
何度深い傷を負っていても立ち上がるバトル漫画となってしまう。
途中まで結構夢中だけど、話を引っ張りすぎている感じが強すぎる。

それにしても島と言ってもかなり人がいるし、
淡路島や佐渡島くらいの規模じゃないかと思う。でかい病院もあったし。

「ジュラシックパーク」(映画)

CGで恐竜を表現されることに驚いた時代があった。
それがちょっと昔に人気映画だったジュラシックパークの頃だ。
もうあまり覚えてないが、なんとなく感想を書いてみると・・・

1は恐竜を開発している島に乗り込む話。ここがこのシリーズのピークだった。
そして2でティラノサウルスを町に持ち込むという馬鹿話を犯し、ある意味この映画が終わる。
3は新メンバーで島に行ったけど、恐竜から何人生き残るのかの
サバイバル90分映画になってしまった。

今度4が製作されるかも?という話だけど、もうCGに慣れたし、
3Dで楽しませるしか無いんじゃないかと思う。
惜しいのが2はなんとかならなかったのかということ。

「流されて藍蘭島」(アニメ)

少年が女の子だらけの島に一人流れ着く・・・という、まあよくあるハーレム系の話。
一応全部見たけど、主人公が島を出ようと必死だけど、
女は島を出るのは無理とあきらめてるのは少し変に思う。


「スタードライバー輝きのタクト」、「蒼穹のファフナー」(アニメ)

両作品ともロボットアニメながら日本の離島を舞台にしている。

スタードライバーは最終回まで南十字島を舞台にしているけど、
島設定にする理由がかなり弱い。島に映画館があったり、
モダンなカフェやショップが並んでいて、島独特の「古さや昭和や閉鎖」は感じない。
熱海を舞台にしていると言われてもなんとかなりそうだ。

島には東西南北の巫女がいるけどヒロイン以外は巫女の仕事をしていない。
また島の地図どころか全景も少なく、途中で火山灰が降っている
回想シーンがあったというくらいで、なぜ離島を舞台にしたのか・・・謎設定だ。
ただ夕日の景色や灯台など島の絶景をわかっているなという感じがすごいする。
(このアニメの感想は2013年4月の月誌を参考に)

蒼穹のファフナーはかなり前に見たので大半は忘れてしまった。
竜宮(たつみや)島を舞台としていて、
自分が見たアニメの中で一番エヴァンゲリオンに似たアニメという意識がある。
ただ古き良き日本を残すために島が存在しているというのは重くて面白い。
途中で主人公たちは島から出て行くことになるのは残念だが、
世界平和のために戦ってるので仕方ないか。


「いばらの王」(漫画)

どちらかといえば島を舞台にしたという感じじゃないけど、
デザイナーぽい絵柄と理路整然とされた話には好感。
B級ハリウッド映画を目指したというけど、まさに良い意味で終始そんな感じ。

「シャッターアイランド」(映画)

精神病患者が入院する島に、事件の謎を追い続ける探偵が入る話。
ある程度いろんな物語を見た人なら「もしかしてこれって・・・」と、
すぐ思ったものが正解な映画。もっとひねっても良かった。

「ゼルダの伝説〜夢を見る島〜」(ゲームボーイ)

ゲームの世界では島設定の作品が多い。理由は単純にその島の中で終わる完結感が出るし、
他の広大な土地が出てこないと確信できるからだ。また島は日本人に馴染み深さもあるかな。
すぐに思いつくだけでもマリオサンシャインやヨッシーアイランドなどある、
ゼルダの夢を見る島は雰囲気が良くて、島のゲームといえば最初にこれが思い浮かんだ。

「マザー3」(ゲームボーイアドバンス)

小さな島に住む平和な村に、欲を持った者が人々を支配し始める・・・
マザー3は悲しくも人間味のある不思議な話だ。実は島に住んでいる人達は
滅んだ地球人の生き残りで記憶を消したんだけど、会話はあっけらかんとしていて、
島に住む人達が全員家族のように感じるのはとても好きだった。




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